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医師が体験した「希少がんの予兆」太もものポコッとした「しこり」が少しずつ大きく/ 上野直人医師
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2024.06.23 11:00 最終更新日:2024.06.23 11:00
ふだんは“宣告する側”である医師が、初めてがんになって感じたショックと不安。生還した今、「がんに気づいた瞬間」や、人生観について聞いた!
腫瘍内科医の上野直人医師は、2度のがんを乗り越えたがんサバイバーだ。世界最高峰のがんの医療機関、テキサス大学MDアンダーソンがんセンターで腫瘍内科医として長年勤務し、現在はハワイ大学がんセンター長を務める。
「43歳のとき、太ももをなにげなくさわると、しこりがあることに気づきました。表面がポコッと盛り上がり、3、4cmくらい。1週間ごとに、少しずつ大きくなっているような気がしました」
このとき、上野医師はすでにがんを疑っていた。
「痛みはありませんでしたが、専門医として肉腫か白血病による症状かと考えました。その一方で、そうではないことを願う自分もいました」
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検査をおこなった結果は「悪性線維性組織球腫(MFH)」。悪性度が高く、状態を確実に把握しないと治療に進めないため、検査が続いた。
「MFHは希少がんのひとつで、そのなかでは高齢者に多く見られる骨の腫瘍です。見つかった時点で転移していることが多く、希少がんのため、治療経験がない医療機関がほとんどです。私の場合、私自身がMFHの知識を持っていたこと、治療できるチームが近くにいたことはとてもラッキーでした」
上野医師の場合は転移がなく、手術が可能だった。
「主治医は友人だったこともあり、信頼できました。腫瘍のまわりを大きくえぐり取るような手術をおこないました。成功したものの、えぐり取られた箇所は今もへこんだ状態で、座ったときの平衡感覚を失っています。硬い椅子に長時間座ることが厳しいので、会議でもすぐに立てる席に座るようにしています」
年1回の検査以外は日常生活を取り戻した50歳のころ、上野医師の体調にまたも異変が起きる。
「30代後半から、白血球や血小板が少なかったのですが、生活に支障はありませんでした。しかし、MFHの治療からしばらくして貧血が酷くなり、息切れして階段を上るのも大変な状態になったのです。骨髄検査をしたところ、『骨髄異形成症候群』という血液のがんであることがわかりました。2週間に一度輸血をして様子を見てはどうかという提案もありましたが、それではゆっくりと悪くなっていくし、アクティブでいられないと思い、私は『非血縁同種造血幹細胞移植』を決めました」
「同種造血幹細胞移植」とは、他人からの造血幹細胞を移植すること。家族がドナーに適合しなかった上野医師が移植を受けた場合の死亡率は、1年で3割と予測された。
「合併症で死ぬリスクがあっても、研究に戻りたいという信念がありました。当初は移植に積極的でなかった主治医も理解してくれ、サポートしてくれました」
抗がん剤治療を経て、移植は無事に成功した。
「じつは、その抗がん剤は、かつて私が開発にかかわった薬だったのです。感慨深いものがありましたね」
2022年からはハワイで地域医療に勤しむ上野医師。今できることに尽力する日々だ。
取材/文・吉澤恵理(医療ジャーナリスト)