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毎日の生活に「新奇さ」見つける3つの方法…車より徒歩のほうが “新しいもの” を発見しやすい理由とは

ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2024.06.30 11:00 最終更新日:2024.06.30 11:00

毎日の生活に「新奇さ」見つける3つの方法…車より徒歩のほうが “新しいもの” を発見しやすい理由とは

車より徒歩のほうが “新しいもの” を発見しやすい

 

 私たちは日常生活の安定感に満足するだけではなく、なにか新しいものをもつねに求めていると言えるのではないでしょうか。ここでは、こうした新しさを「新奇さ」と呼びます。

 

 都市のなかには、買い物をする場所も、芸術を鑑賞する場所も、エンターテイメントを楽しむ場所も、たくさんありますね。そのため、たとえ同じ都市に長く生活し、親しみを感じながら日々を遂行している人でも、望むと望まざるとにかかわらず、いくらでも、新奇なものに触れる余地があるのです。

 

 フィンランドの美学者アルト・ハアパラは、都市ではなくても、たとえばアマゾンのジャングルのような自然においても、このような意味の過剰は生じるだろうと述べています。

 

 

 実際のところ、私たちはどこで暮らしていようとも、なんらかの方法で新奇さを見出す工夫をすることができるのではないでしょうか。以下では、その方法をいくつか検討してみます。

 

■新奇さを見つける工夫(1)建築に触れる

 

 ある建築物が、その周辺に暮らす人々の日常生活のルーティーンを支えつつも、しかしふとしたときにその魅力のために私たちを日常から引き剥がすこともできるとき、その建築物は二重の機能を持っていると、ハアパラは考えます。

 

 たとえば、ギリシャの神殿は古代人の共同体での生活を支える中心的な役割を担っていました。その意味で、神殿は日常を支えるものです。しかし、ギリシャの古代人は神殿をたんに日常の一ピースの、平凡なものとだけ見ていたのでしょうか。もしかすると、日々神殿を通り過ぎながら、ふとした瞬間にこれを見上げてその壮麗さに雷に打たれたような気持ちを抱いていたかもしれません。

 

 ハアパラは現代においても、たとえばよくできた鉄道駅や百貨店の建築などが、ギリシャ神殿と同様の役割を果たしていると指摘します。移動や消費をベースに築かれている私たちの社会という共同体を裏方的に支えながらも、時に主役として、私たちの注目を引き受け、その美しさによって新鮮な驚きを与えてくれる建築。

 

 ハアパラが挙げるのは欧米の例ですが、私自身、このような二重の機能を発揮している建築として、たとえば東京駅や小田急百貨店新宿本館などを思い浮かべることができます(後者が解体されるのは非常に残念です)。

 

 また、私が現在勤めている群馬県立女子大学の建物も、そうした建築の一例だと言えるかもしれません。主に文学部が使用する校舎は、小田急百貨店新宿本館を設計したのと同じ、坂倉建築研究所による建築です。

 

 この建物は屋根がガラス張りになっているので、その時々の太陽の光の加減でまったく異なる印象を持ちます。そのため、この校舎での日々に慣れ親しんだあとでも、ふとしたときに、新しい光のもとで建物のいつもとちがう表情を楽しむことができるのです。

 

■新奇さを見つける工夫(2)モビリティ

 

 次にみるのは、同じ街にいても、移動手段(=モビリティ)を変えることで新奇さを発見する工夫です。

 

 アメリカの美学者ジョナサン・マスキットは、モビリティごとに異なる美的経験について議論しています。彼は特に、街のなかに新しいなにかを発見しやすいかどうかという観点から、さまざまなモビリティを比較検討しています。その際に、彼が軸とするのは「速度」「周囲の探索の可能性」「中断のしやすさ」という3つの観点です。

 

 まず、速度について。ふつう、私たちはスピードのある乗り物を歓迎します。そのほうが移動効率がよいからです。確かに、ある場所に行くことだけが目的であれば、早く着くことはよいことでしょう。ですが、速度の出ない乗り物には別のメリットがあります。それは、新しいものの発見の可能性が上がるという点です。

 

 マスキットは、低速な移動方法(徒歩や自転車、スケートボードなど)は周囲を見渡すことができ、自分がどんな場所にいるのかをじっくりと理解することができると言います。こんなものがこんなところにあったのか、という新しさとの遭遇は、なにかの役に立つわけではないかもしれませんが、私たちに対して美的な喜びをもたらすものだと指摘します。

 

 次に、周囲の探索可能性です。これは、移動中に周囲をどれだけ観察できるかということなので、一つめの速度と密接に関わっていますが、それに尽きるものではありません。

 

 探索可能性は、たとえば交通手段ごとの密閉性や座席の位置、道路や線路の状況のちがいなどによっても変わります。高架から見下ろす街並みは道を歩いているときとは違っているでしょうし、電車のどの位置に座るか、立つかによっても見えるものは変わります。

 

 ただ、乗り物に乗っていると、どうしても車体によって視界が分断されてしまうことがあります(地下鉄であれば車体が地下に潜り込んでいるため、もはや外の環境はなにも見えません)。それに対して、非閉鎖的な交通手段である徒歩や自転車などでは、周囲の状況をより首尾よく把握することができるとマスキットは指摘します。

 

 これらの移動手段では、窓枠や屋根などで視界が分断されることなく、全方向を見渡すことができます。また、視覚以外の感覚もより大きな役割を果たすことができるでしょう。乗り物が間に入らないので聴覚はさまざまな音を捉えますし、場合によっては嗅覚によって季節の花の匂いを楽しむこともできるかもしれません。

 

 最後に、中断のしやすさです。これは、興味がわいたときに移動を中断できるかどうかということです。この点に関しては、低速の交通機関の利用者が有利であることは言うまでもないでしょう。徒歩やサイクリング、スケートボードは特に有利で、トラムや電車・地下鉄の利用者でも、時間的・経済的負担はあれど中断はしやすいとマスキットは言います。

 

 さらにマスキットは、車を運転している人はこの点では不利だと判定しています。車を停めるのが難しいし、そもそも車を止めてまで見たいと思うような、興味がわくものを見つける余裕がないからです。

 

 マスキットの議論は、徒歩やそれに準ずる交通手段を礼賛しすぎるきらいがあります。しかし、別の交通手段を使ってみると親しみあるはずの日常のなかに新奇なものを発見することができるという点には、多くの人が同意できるでしょう。

 

 私自身、この楽しみを得るために、ふだん電車で移動する区間をバスで代替するのが好きです。時間はかかるけれど、新たな発見があるからです。

 

■新奇さを見つける工夫(3)アプリを使う

 

 最後に紹介する工夫は、現代のテクノロジーを利用したものです。フィンランドの美学者サンナ・レーティネンとヴェサ・ヴィハンニンヨキは、テクノロジーが親しみある環境をちがったものに見せる可能性について検討しています。

 

 2人が取り上げるのは、GPSなどの位置情報システムを用いたアプリケーション(以下アプリ)です。こうしたアプリが与えてくれる情報は、自分が今いる環境に異なるレイヤーを重ねてくれます。現実の土地を第1レイヤーとしつつ、そのうえに、アプリが示す第2レイヤーが重ねられるのです。

 

 2016年にリリースされた位置情報ゲームアプリ「ポケモン GO」(NIANTIC)は、その典型的な事例だと言えるでしょう。当時大学院生だった私は、大学構内で初めてこのゲームを起動しました。大学の地図がアプリの上に表示され、ポケモンを探して大学のなかを歩き回ったとき、いつもの大学がゲームのフィールドに様変わりし、新鮮な驚きを覚えたことを記憶しています。

 

 また、いつも目にしていた街中の人物像やオブジェなどの説明がゲーム上で表示され、初めてそれがどのような意図で設置されたものだったかを知ったこともありました。これも、アプリを通じて親しみあるものが新奇なものへと転じる経験の一例でしょう。

 

 レーティネンとヴィハンニンヨキは、こうしたアプリが、私たちが見慣れた環境を新奇なものとして新たに発見し直すことを仲介してくれると言います。

 

 このように、私たちは日常のなかに新奇さを見出すための工夫をいくつも持っているのです。

 

 

 以上、青田麻未氏の新刊『「ふつうの暮らし」を美学する』(光文社新書)をもとに再構成しました。椅子、掃除、料理などの具体例を通じて、世界を見つめ直す方法論とは。

 

●『「ふつうの暮らし」を美学する』詳細はこちら

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