類人猿は生物学的に、ヒト上科と呼ばれるグループである。現生のヒト上科には、我々ヒトの他に、チンパンジーやオランウータン、ゴリラ、ボノボ、テナガザルが含まれている。
そしてヒト上科の体には、いくつか共通して見られる特徴がある。せっかくだからその一つを体感していただこう。腕を真上に伸ばしてみてほしい。さあいい感じに腕は伸びただろうか。何気なくできてしまうその動きこそ、実は皆さんもヒト上科であることの証なのだ。
その他にもヒト上科には、大臼歯のかたちなど様々な形態の共通性が見られるのだが、ヒト上科とは何かという最も古典的な形態的定義の一つが、しっぽがない、ということなのである。大事なことなので2回言おう。ヒト上科(類人猿)にはおしなべてしっぽがないのである。
ヒトはなぜしっぽを失くしたのか、という話をすると、「二足歩行と関係があるのではないですか」と聞かれることがときどきある。どうやら、一般書の中にはそういったことを書いているものがあるようなのだ。あるいは、学校でそう習ったと言っていた方にも出会ったことがある。
だがこれ、とんでもない誤解なのである。
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ヒト上科におけるしっぽの喪失については、これまでにいくつかの仮説が提唱されてきた。人類学関連の世界において、つい最近の2000年代くらいまで広く信じられていたのは、ぶら下がり運動としっぽの喪失に関連性があるのではないかとする説である。ここでは「ぶら下がり運動適応説」とでも名づけておこう。
先ほど、腕を真上に伸ばすストレッチをしてもらったが、今この世界に生きているヒト上科は全てぶら下がり運動に適した体つきをしている。そして、なんともちょうどいいことに、そのヒト上科にはおしなべてしっぽがないわけである。
そこで登場したのがこの仮説だ。我々の祖先がぶら下がり運動に適応したことにより、バランスをとるためのしっぽが不要になったのだろうと考えたわけである。
なんだか筋の通りそうな話ではある。そのため、この仮説は長らく信じられてきたのだが、しかし、現在では正しくないことが明確になってしまっている。
歴史を変えたのは、京都大学の発掘調査隊によるナチョラピテクスの化石発見だった。断片的にしか発見されない化石資料が大半である中、ナチョラピテクスは奇跡的にほぼ全身の骨格が発見されている。そのことにより、どういった暮らしをしていた生物なのかが推測しやすい状況だった。
とくに大きな発見は、四肢の骨の形態から、ぶら下がり運動にはまだ適応していなかったこと、そして樹上を四足歩行していただろうということが判明した点である。さらには先述した通り、ナチョラピテクスはすでにしっぽを完全に喪失していたことも化石から明らかとなった。
すなわち、ぶら下がり運動への適応が生じるよりももっと前の段階で、しっぽは喪失していたことが、たった一例の化石の発見によりはっきりしたのである。こうして「ぶら下がり運動適応説」は完全に否定されることとなった。
では、その他にどういった要因がしっぽ喪失に関連しうるのだろうか。「ぶら下がり運動適応説」に代わって提唱されるようになったのが、緩慢な運動としっぽの喪失の関連性を疑う仮説である。「緩慢運動への適応説」とでも呼ぶことにしよう。
現生の霊長類の中に、スローロリスという種がいる。東南アジアなどに生息している小型の霊長類で、くりくりとした大きな目が特徴的ななんとも愛らしい生物である。夜行性であり、しっかりと両手両足で枝を掴んで移動する。その速度が、名前の通り非常にスローなのである。そして特筆すべきこととして、このスローロリスにはしっぽがほとんどない。
化石で見つかったナチョラピテクスは、スローロリスよりずっと体の大きな生物で、体重は20kgほどだったと推測されている。だからこそ、そういった比較的大きな生き物が樹上を飛んだり跳ねたり活発に動き回ると、落下時の怪我や死亡リスクが上がることが予測される。
ゆえに、ナチョラピテクスは現生のスローロリスのように枝をしっかりと掴み、ゆっくりと動いたのではないだろうか、と考えた研究者がいるわけである。ゆっくり動くことで、バランス維持のためのしっぽが不要になり、退化したのだろうとするのが、この「緩慢運動への適応説」の骨子である。
だがこの仮説には、大事なものが欠けている。それは、仮説を裏づけるための証拠だ。人類学や形態学、解剖学のいずれの世界においても、緩慢な運動と筋骨格のかたちとの関連性について明らかにした研究はない。
そのため、現時点では世界の誰もナチョラピテクスが本当にゆっくり動いていたかどうかは分からないのである。だから、この「緩慢運動への適応説」に関しては現状、積極的に肯定する証拠も否定する証拠もない。シンプルに言い換えるなら、研究者が言いっぱなしの仮説であって、検証すらできていない状況なのである。
ちなみに、私自身はこの仮説にどうもうまく納得できない。なので、これをどうにか検証できないかと試行錯誤しているところなのである。ヒト上科に至る道のりでなぜしっぽがなくなったのかは、このようにまだ一切分かっていないのである。
では、化石がないということはヒトへと至るしっぽ喪失の道程解明はそこでジ・エンド。打つ手なしということなのだろうか。いやいや、そんなことで諦めてはいけない。諦められない、と大学院時代の私は燃えた。
探し物は見つけにくいものであるだけで、絶対に見つからないと決まったわけではない。いつか化石が見つかったら、そのときにはできるだけたくさんの情報を読み取れるように、しっぽの骨から何が分かるのかを徹底的に明らかにしよう。それが私のしっぽ研究の第一歩だった。
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以上、東島沙弥佳氏の近刊『しっぽ学』(光文社新書)をもとに再構成しました。文理の壁を越えて研究を続けるしっぽ博士が魅惑のしっぽワールドにご案内!
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