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麻布・開成目指す有名塾で修行故郷沖縄の貧困と教育問題解決へ

ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2018.02.02 11:00 最終更新日:2018.02.02 11:00

麻布・開成目指す有名塾で修行故郷沖縄の貧困と教育問題解決へ

アフロ

 

 沖縄の教育と貧困問題を解決しようと帰郷した。13年過ぎて立ち上げた「沖縄プロジェクト」とは!?

 

 沖縄県知事などの要職を歴任した西銘順治(1921〜2001)は、沖縄の心とは「ヤマトンチュ(大和人)になりたくて、なり切れない心」と述べた。東京で大学時代を送った山里彰さんは、身をもってそのことを感じたという。山里さんは宮古島の隣、宮古ブルーと呼ばれる海に囲まれた小さな伊良部島で育った。

 

「子供のころは今でいうアスペルガー症候群のようで、左右が反対になる鏡文字を書いていたし、九九も覚えられない劣等生。高校生になると島を出て一人暮らしをするのが我が家の教育方針。

 

 15のときから沖縄本島で一人暮らしを始め、初めて親のありがたみを知った。高校時代は勉強の成果が上がり、上位の成績を取れるようになった」

 

 一浪して中央大学法学部に入学。必死に勉強してやっと入ったのに、東大などに落ちて来た学生のなかには、学校を馬鹿にする人がいてショックだった。

 

「弁護士希望だったが、2週間で挫折。ゼミの先輩から、司法試験の合格を目指すなら1日に10時間は勉強をしなければと言われた。2時間もしていなかったのでそれができるか考えたが、結論はノー。これから4年間何をするのか、それを考えることから大学生活が始まった」

 

 1年生からゼミに入った。最初の授業が、辺野古への米軍普天間基地移設問題と住民投票の是非についてで、沖縄の基地について議論した。意見を求められ、沖縄県民として意見を述べると、「論理的でなく、ただの感情論に過ぎない」と言われた。

 

 沖縄では当たり前の理屈が通じない人たちと、どのように意思の疎通を図ったらいいのか悩みながら大学生活を送った。

 

 卒業と同時に学習塾の激戦区だった横浜で、有名塾の先生兼エリアマネージャーを約3年間務めた。中学受験のクラスを持ち開成、麻布、慶應を目指す生徒を多く育てた。

 

 塾への就職は、沖縄で学習塾を開くのに必要なノウハウを学ぶためだ。沖縄県がアホだといわれるのが悔しかったし、教育問題の解決に貢献したかった。

 

「沖縄の教育と貧困問題を解決したい。26歳のとき、意気揚々と妻と0歳の娘を連れて沖縄に帰り起業。教育委員会の方々に相談して荒れている中学校を教わり、その学校の近くで塾を開いた。

 

 運転資金の300万円は妻が出してくれた。授業をさぼってぶらぶらしている子供たちに声をかけたり、一緒に弁当を食べたりして勧誘した」

 

 生徒4人で始めた塾は1年めの終わりには60人を超え、2年めは120人弱。ほかにもエステティシャン養成など各種教室を展開し、一時は14校を構えた。現在は新しい仕事をするために整理し、4校を経営している。

 

「子供の教育問題は、結局は母親に行き着く。沖縄は19歳以下の若年結婚、出産、離婚率が日本一。これに貧困が絡む。シングルマザーの方々250人と話す機会があったが、養う子供は2、3人。

 

 昼の仕事だと月収は手取り8万円ぐらい。沖縄県は子供の4人に1人が貧困という現実がある。中学卒業と同時に娘を飲食街で働かせる例も珍しくない。貧困と教育問題の相関性は高い」

 

 そこで2017年、お母さんの働く場を作る「沖縄プロジェクト」を立ち上げた。沖縄ではリゾート結婚式が急増中で、メイク係が不足している。その技術を短期間で習得させ働いてもらう仕組みだ。

 

 研修中も給料を払う。問題は子供たちだが、忙しい土日は県内の託児施設に預かってもらう予定だ。すると話を聞いた飲食店関係者が、母子一緒に食べられるように安く食事を提供してくれることになった。

 

「今沖縄に必要なのは、生活の自立を促す社会機構の変革」。郷土の多くの人を巻き込み、プロジェクトは前進を始めた。「子供たちの本当の笑顔は、お母さんの笑顔が生むもの。事業を通して沖縄の社会問題を解決していきたい」。山里さんが放つ第二の矢が楽しみだ。

 

(週刊FLASH 2018年2月13日号)

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