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破産を経験した元 “家なき子” が福島復興イベントをプロデュース
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2018.02.15 06:00 最終更新日:2018.02.15 09:07
周りの人に助けられてきた。今度は自分が……。その思いが復興支援のイベントにつながった。
「おきあがりこぼし」は福島県を代表する郷土玩具である。倒しても必ず起き上がることから、七転び八起きの精神を表わす縁起物としても有名だ。豊臣秀吉より会津若松に移封された蒲生氏郷が作らせたといわれる。
この人形との出会いがきじまみ。(木島真巳)さん(40)の人生の転機となった。しかし、そこに至るまでには十数年にわたる波乱に富んだ人間ドラマがあった。
「現在は四日市市と合併しましたが、三重県の楠町で生まれ育ちました。子供のころはいつも外で遊ぶ自然児。短大卒業後、国家試験を受けて地元で保育士として3年間勤めました。
ところが、鉄鋼業を営んでいた父が詐欺に遭って多額の借金を背負ってしまい、会社が危うくなった。役者になって売れたら助けられるかもしれないというかすかな望みを抱いて、23歳のときに上京しました」
まずは声優の事務所に入った。だが、芸能界は甘くはなかった。地域FMのパーソナリティなどの仕事をしたが、望みを果たせないまま24歳のとき、父親の会社は倒産、実家は破産して家もなくなった。
「お前をひどい目に遭わせるわけにはいかないから、すぐ逃げて」と言われ、その日のうちに荷物をまとめ、友達を頼って関西へ。事情を聞いた三重の友達が駆けつけて、車の手配や片づけを手伝ってくれた。
「関西へ行った翌日、住み込みの仕事を決め、それからは実家への仕送りのためにだけ働きました」
半年後、ある程度の仕送りができたため再度上京。小劇場や再現ビデオなどの役者として活動した後、70年近くの歴史を持つ劇団に入団。そこで日本舞踊などの稽古に励み、舞台役者としてのスタートを切った。
役者の道を選んだのには、芝居が好きな母親にいつか舞台に立つ姿を見てもらいたいという思いもあった。劇団での活動は5年半にわたった。その間、夢だった文化センターなど大ホールでの芝居を含め、何百回と舞台に立った。
■民芸品「おきあがりこぼし」と目が合い、芸術祭開催へ
「東日本大震災の1年半後に、公演で南三陸町と仙台の荒浜地区、福島の郡山へ行ったんです。どこもひどい状況でしたが、特に郡山では天災と人災、怒りをどこにもぶつけられないなんとも言えない雰囲気を感じました。明日住むお家がない。
自分が経験した冷たく辛い思い以上のものを抱えている方が、どのくらいいるのだろう? 自分は本当にたくさんの人に助けてもらったのに、なんにもできないことが悔しくて、何かをしなければと思いました」
きじまみ。さんのふだんの顔は、スタジオやライブハウスを運営する不動産会社のOLで、勤めて11年になる。会社の理解と応援があったからこそ役者として、今も活動ができる。劇団を辞め、何かをしなければと父親を主人公に『おきあがりこぼし』という題の脚本を書いていたときに、たまたま近くの民芸品屋を覗いた。
「おきあがりこぼし人形とパッと目が合って、かわいいと思うのと同時に、不思議な縁を感じました。福島の人形だということも知りました。そのときピンときて、今だ! と思いました。
どんな困難があってもいつでも笑顔で生きる、そんな思いをこめて自分ができる芸術とつなげてイベントをやってみよう! このお人形さんを広めれば、震災が忘れられることはないし、縁起物でみんながハッピーになれる……」
会津若松へ行き、その人形を販売している工房の協力を仰いだ。そして2014年7月、1回めの福島復興応援イベント「おきあがりこぼし芸術祭」を開いた。以後は2カ月ごとに開催し、この2月で21回を数えた。
歌、芝居、踊り、落語、占い等々、バラエティ豊かな内容だ。福島での無料公演もおこなった。
「これまでに300組以上の方々に出演いただき、3000個以上の人形をお客様にお届けしました」
次回は4月21日に東京・高田馬場の音部屋スクエアで開催予定だ。2018年も3・11が巡ってくる。イベントの発展と、人形の精神が多くの人に伝わることを願うばかりだ。
(週刊FLASH 2018年2月27日号)