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【徳川慶喜家が墓じまい】どうする補修費3000万円、遺品6000点…権利を主張する親族とは話し合い8年の “お家騒動”

ライフ・マネー 記事投稿日:2026.02.14 06:00 最終更新日:2026.02.14 06:00

【徳川慶喜家が墓じまい】どうする補修費3000万円、遺品6000点…権利を主張する親族とは話し合い8年の “お家騒動”

谷中霊園にある徳川慶喜公の墓所(写真・木村哲夫)

 

 年間17万6105件。この数字は、令和6年度に墓を撤去、改葬する「墓じまい」がおこなわれた件数(厚労省「令和6年度衛生行政報告例」)だ。跡継ぎがいない、管理費の負担が重いなどその理由はさまざまだが、少子高齢化、核家族化を背景に墓じまいが近年急増している。それは、大政奉還をおこない、江戸幕府最後の将軍となった徳川慶喜も例外ではなかった。

 

 本誌は、慶喜公が明治維新後に天皇から公爵を授けられ、徳川宗家から分家して興した徳川慶喜家の墓じまいを取材した。

 

 1月下旬、慶喜公の玄孫(やしゃご)にあたる5代目当主・山岸美喜さん(57)とともに、都内の谷中霊園を訪れた。コンクリートの高い石壁と鉄柵に囲まれた約300坪の敷地には、慶喜公をはじめ、正室や側室、その子供たちが眠る円墳状の墓が静かに並んでいる。墓は徳川宗家伝統の宝塔形式ではない。慶喜公は、明治35(1902)年に公爵授爵の際、神道に改宗したからだ。

 

「絶家と墓じまいを決めたのは、徳川慶喜家4代目当主だった叔父(慶朝・よしとも)でした。ご覧のとおり、墓の外壁の一部が損傷していて、見積もりによるとその補修には3000万円ほどかかるそうです。

 

 定期的な草木の剪定も大変で、叔父は毎年、敷地を4分の1ずつに分けて業者に依頼していました。個人で負担するには大きい額なので、叔父は『次の世代に背負わせてはいけない』と考えました。私は叔父の遺志を受け継いだのです」(山岸さん、以下「 」内も同様)

 

■難題続きで、手続きを始めるまでに8年も

 

 2017年9月、慶朝さんは心筋梗塞で急逝した。遺言書には、こう記されていた。

 

〈遺言者徳川慶朝は、遺産執行者として姪の山岸美喜を指名する〉

 

 慶朝さんは独身だったため、病に倒れてから身の回りの世話をし、献身的に支えてきたのが山岸さんだった。

 

 そのため、慶朝さんの葬儀をはじめ、墓じまいや絶家の手続き、遺品整理に至るまで、徳川慶喜家の後始末ともいえる重い役目を、彼女が一手に引き受けることになった。

 

「まずは、叔父を納骨しなければならない。そう思って、敷地を管理している寛永寺に、家系図と遺言書を持って相談に行きました。すると、『ご自分のお墓(寛永寺の管理外)ですから、石材店を手配して、都合のいい日程で進めてください』と言われました。叔父の意向もあり、葬儀は身内10人ほどで静かに営み、慶喜公の隣の墓に埋葬しました」

 

 だが、墓じまいを進めるには大きな壁があった。墓や祭祀財産を管理し、年忌法要などを執りおこなう「祭祀承継権」を山岸さんが正式に承継しなければ、墓の移転や整理はできない。すると、墓の権利と遺産譲渡を希望する親族が現われ、話し合いが難航した。最終的に、山岸さんが承継権を得るまで、じつに8年もの歳月を費やすことになった。

 

 昨年10月、山岸さんは徳川慶喜家の「祭祀承継者」として正式に確定した。そして現在は、徳川家とゆかりの深い上野東照宮に相談を持ちかけ、墓所の移設や祭祀承継権の譲渡に向けた手続きを進めている。

 

 墓じまいの目途はたったが、もうひとつの難題が、家じまいにともなう徳川慶喜家の遺品の整理だ。慶喜公が撮影した写真、油絵や水彩画、書など、その数は6000点にも及ぶ。

 

「長年、戸定(とじょう)歴史館(千葉県松戸市)にお預けしてきました。でも、徳川慶喜家の家じまいにあたって、きちんと未来に残せる寄贈先を探さなければなりませんでした」

 

 受入れ先探しは難航し、門前払いのような対応を受けたこともあったという。それでも丁寧に交渉を重ね、現在は東京国立博物館への寄贈に向けて話が進んでいる。

 

 墓じまいと家じまい。次々と舞い込む課題に向き合いながら、山岸さんはこう語った。

 

「私がやっていることは、現代の “大政奉還” です。家の歴史を、徳川家だけのものではなく、日本の歴史として引き渡す作業だと思っています」

 

 墓の問題は、誰もが直面するお家の一大事。備えが必要だ。

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出典元: 週刊FLASH 2026年2月24日号

著者: 『FLASH』編集部

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