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被災地に1500万円寄付した「秋田の居酒屋王」転機は1冊の本

ライフ・マネー 投稿日:2018.04.26 06:00FLASH編集部

被災地に1500万円寄付した「秋田の居酒屋王」転機は1冊の本

 

 秋田市に本社を置くドリームリンクは、居酒屋の「薄利多半兵ヱ」など109店舗を展開する企業だ。社名にあるドリームのDの形は半円。2つ合わせると円になり、その円を横に2つ並べると無限大の記号「∞」になる。

 

「いろいろな人のD(夢)をリンクさせて、あちこちに無限大のマークを作っていくイメージの会社にしたかった」と語るのは村上雅彦さん(55)。村上さんの最初の転機は高校時代に訪れた。

 

「世の中の役に立つ仕事がしたくて、医師になろうと思っていました。ところがやんちゃがすぎて、生徒会長になる直前に学校を退学させられました。そのとき読んだのが矢沢永吉さんの『成りあがり』。

 

 当時、矢沢さんは長者番付の歌手部門で1位。彼の生き方や歌は人を癒やし、勇気づけ、幸せにしていた。学歴に関係なく、こういう素晴らしい生き方があるのだな、と思いました」

 

 医師ではなく、違う生き方をしてみようと考え、人を幸せにする仕事として調理師か美容師に絞った。両者の比較では、調理師の世界を極めているのは男が多かったのに対し、当時の美容界は男にとっては未開の市場。

 

 あえてそこに飛び込み、人を幸せにして業界を発展させる。そんな夢を抱いて挑戦した。

 

「手先の器用さにはまるで自信がなかったのですが、美容院の経営者になればいいと考えました。今になって思うのですが、私自身が医師になるよりも、優秀な医師に集まっていただき、病院を経営するやり方のほうが、より世の中の役に立てる。そういう考え方です」

 

 1年後、順調に美容師として働きながら経営者の勉強をしていた村上さんに父親から電話が入る。秋田で一緒に居酒屋をやらないかというのだ。父親はいわゆるエリートで、当時は単身赴任で銀行の新潟支店長をしており、役員候補だった。

 

 そこを居酒屋「村さ来」のオーナー、清宮勝一氏が訪れ、「秋田県のフランチャイズの権利が残っているので、どうか」という誘いを受けた。

 

「父には二つ返事でお願いしました。調理師か美容師か迷った時期があったこと、父が、お前がやるなら俺も一緒にやってみようかなと言ってくれたことに加え、父の力で1号店を出せるのは魅力的でしたし、感覚的に可能性を感じました。

 

 ただ、実現するまでには少し時間がかかりました。父は役職柄、すぐに銀行を辞めるわけにはいかなかったし、私も美容院で指名No.1になっていましたので……。でもきっと、父は私のことが心配だったのだと思います」

 

 1983年8月、秋田県内で1号店になる「村さ来・秋田有楽町店」をオープン。村上さんはまだ20歳だった。そして2000年にドリームリンクを設立、紆余曲折を経て今日に至る。

 

 その間、40歳のときに第二の転機を迎えた。「企業国家論」という経営哲学を自ら考え出したのである。

 

「京セラの稲盛和夫さんの本で『社員は家族』という考え方に出会いました。素晴らしいのですが、しっくりこない。いろいろ考えて、家族ではなく国と国民の関係に置き換えたら、感じていた矛盾がすべて解消しました。 

 

 会社を国家とすると、社員は国民。国家の最大の役割は、国民の健康と安全、財産を守ること。国家は国民の幸せのために尽くし、国民は国家の繁栄のために尽くす。会社の方向性が明確になりました」

 

 企業国家論には利益に関する規定もある。第一に国のため、第二に国民のため、第三に地域社会のために使う。東日本大震災のときは仙台駅前と銀座に復興酒場を作り、1年あまりの営業であげた1500万円の利益全額を岩手、宮城、福島の3県に500万円ずつ寄付した。

 

 今後は株式を上場して、企業国家論の経営哲学をもとに、ネットワークを世界へ広げていく予定だ。

 

「大事なのは、強者が弱者を守るというシンプルな考え方を、皆が守ること」

 

 百戦錬磨の将なのに、村上さんはまるで青年のようだった。

(週刊FLASH 2018年5月8・15日合併号)

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