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「写真の町宣言」で世界的に有名になった「北海道東川町」わずか20年で予算規模が4倍になったわけ【地方の奮闘】

ライフ・マネー 記事投稿日:2026.05.23 11:00 最終更新日:2026.05.23 11:00

「写真の町宣言」で世界的に有名になった「北海道東川町」わずか20年で予算規模が4倍になったわけ【地方の奮闘】

北海道東川町で開催される写真甲子園(写真・共同通信)

 

 北海道のど真ん中、大雪山国立公園の麓にある上川郡東川町は、「街の住みここちランキング2023〈ふるさと版〉」(大東建託株式会社「賃貸未来研究所」)において、2年連続で全国1位に選出されている。移住希望者が住宅用地を探しても、適した不動産を購入するのも賃貸するのも難しいほどの高倍率だ。

 

 なぜこのような町が成立したのか? 町民たちを支えているのは何なのか? 東川町に取材に向かった私に、担当してくれた東川町役場企画部総務課企画財政室の柳澤奨一郎さんは、一通の資料をもってきた。

 

 その資料には東川町の人口と「一般会計予算」の推移が書かれていた。東川町の人口は8600人。それに対して2024年度の一般会計予算は「166億円」とある。

 

 その時私は、他の自治体の一般会計予算額を知らなかったから、この166億円の意味がわからなかった。けれど柳澤さんはこう言って胸を張った。

 

「一般会計予算額は自主財源であるその自治体の税収にプラスして、国からの交付金なども加わるので、人口規模や面積、自然条件、地理的条件などによって決まってきます。一般的に言って、東川の規模での標準財政規模は約47億円といわれています。

 

 実際に2003年度の予算額は約44億円でした。ところが約20年後の2024年度にはそれが約166億円と3.8倍の規模になっている。これは東川がいろいろなことに挑戦して、国や道からも評価を受けて交付金や補助金助成金などを得て、財源確保に努めてきた結果だと考えています」

 

■東川の町づくりの歩み

 

 人口8600人規模の町で一般会計166億円という巨額の予算を確保している東川町。なぜこんな奇跡が実現しているのか、簡単にその町づくりの歩みを振り返ってみよう。

 

 東川町が、現在では日本国内のみならず世界的にも有名になった(香港では日本で一番有名な町の一つに東川があがるという)理由は、1985年に「写真の町宣言」を出したことが大きい。

 

 当時は日本経済が好調で、バブル期に向かっていく最中。全国的には巨大イベントによる町おこしが盛んだった。

 

 けれど東川は「写真」という文化で地域のアイデンティティづくりをしようと考えた。これを企画したスタッフは、フランスの地方都市で行われていた写真展を参考に、「文化の歴史のない町が写真という文化に取り組んで、伝統のなさを利点にしよう」と考えたという。

 

 その提案を受けた時の町長は、「町民の一体感を醸成したい」という意図で、この取り組みに乗った。大雪山国立公園に抱かれた、写真映りのいい町であることを町のアイデンティティにしようとしたのだ。

 

 当初から世界に門戸を開き、プロフェッショナルなフォトグラファーの作品に「東川賞」をはじめとする5つの賞を定め、篠山紀信、荒木経惟、橋口譲二といった有名フォトグラファーたちを選定していった。

 

 転機になったのは、第10回に全国の高校生を対象にした「写真甲子園」を併設したことだった。それまでは、どんなに有名な写真家が町にやってきても、町民たちは及び腰だった。「俺たちの税金がそんなことに使われて意味があるのか?」という批判もあった。

 

 けれど高校生相手ならば、町民たちも自宅にホームステイさせたり食事の世話をしたりして、「町民参加型のイベント」になる。高校生たちも夏の数日間東川町民のお世話になれば、卒業して大学生になったら今度は「ボランティアスタッフ」として町に戻ってきてくれる。

 

 若者を受け入れれば町は活気づく。そのまま写真の世界に進もうと考える若者は、移住地として東川を選ぶケースも増えてくる。

 

 同時にメディアからの取材も増えた。東川の町名と「写真甲子園」の取り組みは全国に響き渡り、「新聞で見たよ、テレビでも映っていたよ」と話題になる。町外や道外の親戚や知人からそんな声を聞くことで、町民たちも「写真の町活動」を、「おらが町の誇り」と認識するようになっていったのだ。

 

■合併か? 自立か?

 

 ところが、1999年ごろのこと。写真の町活動とは別に、東川では町を二分しての大論争が沸き起こった。それは、時の政府が主導した「平成の大合併」を巡る論争だった。近隣の市町村と合併するべきか否か? 全国どの自治体でもこの論争は沸き上がったが、東川でも町長選挙を挟んで、賛成派と反対派が互いの意見を激しく主張したのだ。

 

 その時東川町民は、「合併せず、自立路線」を主張して町長選挙に出馬した元役場職員の松岡市郎を町長に選ぶ。松岡は2003年に当選して町長になると、

 

「合併せず自立を選んだ以上、何もしなければ町はつぶれる。町が自立存続していくためには『前例がない』『予算がない』と言い訳して仕事をしていてはダメだ。町にプラスになることであれば、それをどうしたらできるかを考えろ」

 

 と職員を鼓舞して、積極財政路線を敷いた。そうしなければこの町は生き残っていけないと訴えたのだ。

 

 実際、松岡町政になってから、新たに生まれた制度や企画はたくさんある。たとえば次のようなものだ。

 

(1)ひがしかわ株主制度

 ふるさと納税制度を利用して「寄付者」を「株主」、「寄付」を「投資」と位置づけて、地域資源を活かした事業の中から株主に投資(応援)したい事業を選んでもらい、目標金額に達したらその事業を実施する。過去には映画『写真甲子園、0.5秒の夏』の製作資金を集め全国公開した。現在は「写真の町推進事業」「デザインミュージアム建設事業」「ウズベキスタン学際学術プログラム連携事業」「農業を守り育てる事業」などがある。

 

(2)新・婚姻届

 婚姻届は、一時的な滞在地も含めた「所在地」での届け出が可能なことに着目して、2005年から記念となる台紙付きの婚姻届を作成。写真の町に相応しく、婚姻届を出した瞬間の夫婦の写真とメッセージを残せる新しい婚姻届のスタイルを提示した。年間の町民カップルは二十数組でも、町外から百数十組が東川で入籍している。

 

(3)東川町立東川日本語学校

 2015年10月に全国初の公立日本語学校として東川町の複合施設「せんとぴゅあI」に開講。6か月及び1年の長期コース、90日未満の短期コースがある。アジアの学生たちを中心に約300名が学んでいる。アジアや欧米から来た国際交流員も在籍して、留学生の相談などに当たっている。

 

(4)米缶

 2003年に、全道一の米の生産量を誇る東川米のブランド化を目指して、ショート缶に東川町産「ほしのゆめ」約1合が入った商品を開発した。ヒット商品となり、発売初年度だけで約7万4000缶が売れた。

 松岡は5期20年で町長を引退したが、その後を継いだ菊地伸町長も、またその薫陶を受けた柳澤をはじめとする多くの役場職員も、町の「積極財政積極町政」という姿勢を崩さずに現在も邁進しているのだ。

 

 

 以上、神山典士氏の新刊『地方が溶ける ふるさと再生の光と影』(光文社新書)をもとに再構成しました。地域社会やサービスはどのように消失するのか。地方には何が残るのか。自らも移住生活を送るノンフィクション作家が、地方をめぐる光と影を検証します。

 

■『地方が溶ける』詳細はこちら

出典元: SmartFLASH

著者: 『FLASH』編集部

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