1830年頃のミュール紡績機 (写真:アフロ)
「歴史は必然!」っていうフレーズは、世界史講師をしているとまあ確かにそうだなぁ、あんまり偶然が入る余地がないなぁと実感するのだけど、突然の豪雨や個人の野心なんかで歴史が変わる場合もしばしばあって、この結果はたまたまだよなってこともあるにはあります。そしてイギリスの産業革命は、もうなんといっても必然の出来事でありました。
産業の3要素は(ⅰ)資本、(ⅱ)市場、(ⅲ)労働力ですが、18世紀後半のイギリスはその3つがもうバッチリそろっていました。資本とは大きなお金のことで、大西洋三角貿易や毛織物の活況で、イギリスには莫大な富が蓄えられています。市場とは売るところ、当時のイギリスにはインドなど広大な植民地があり、市場に困ることはありません。
また労働力に関しては、農業革命により農業生産効率がアップすると、不必要になった農民が農地から追い出される第2次囲い込みが進み、彼らが都市に流入して工場の労働力になりました。これはちょっとタイミングが良かった感じもあるのだけど、通常だと農民が土地に縛り付けられている状況では、都市労働者が増えずに産業革命が進展しないことが多いのです。
そのほかイギリスは国をあげて科学技術を振興したり、鉄や石炭などの資源が豊富だったことも産業革命を後押しします。たまたま資源があったのは、ちょっとズルいところですよね。
産業革命というとモクモクと煙をあげる工場や、汽笛を鳴らす蒸気機関車をイメージします。たしかにその感覚も正しいといえば正しいですが、産業革命の直接の要因は「綿布」、いわゆる綿糸の布です。
17世紀にはインド産綿布のキャラコがイギリスにもたらされました。軽くて丈夫で安くて着色もしやすい! イギリス人はあっという間にキャラコの虜(とりこ)、キャラコなしでは生きられなくなります。
面白くないのは毛織物業者ですね。インド産綿布のおかげで商売あがったり。彼らは政府にかけ合うと、1700年にはキャラコの輸入は全面禁止と相成ります。
とはいえキャラコのことを忘れられないイギリス人は、「なければ作ればいいじゃない!」の精神で自ら綿布を作るようになりました。これが産業革命のはじまりです。
■産業革命は「布の織機」と「糸の紡績機」で分ける
1733年にジョン=ケイが飛び杼(ひ)を発明しました。これは織機といって、糸から布を織る機械。横糸を通す飛び杼によって、織物の生産効率が著しく向上します。
それに伴って、今度は綿糸を紡ぐ機械が発明されました。ハーグリーヴズが多軸紡績機(ジェニー紡績機)を生み出せば、アークライトは水力紡績機を考案します。両者のいいところを掛け合わせたのがクロンプトンのミュール紡績機。これで強くて細い糸が量産され、18世紀後半には紡績機が発達、つまり糸の量産がさらに進みました。
そして1785年、カートライトによって力織機が開発されると蒸気機関を用いた織機が完成し、産業革命の加速度が増していきます。なんだかいろんな人物が出てきてこんがらがりますが、大まかには、A.布を織る機械(織機)と、B.糸を紡ぐ機械(紡績機)に分けて、A → B → B → B → A の順番で発達したと考えてください。
■蒸気機関や「交通革命」は副産物
綿布を中心にその他の発明品が生まれました。例えば工場の機械には鉄を用いた方が丈夫で長持ちするでしょう? ダービー父子はコークス製鉄法を編み出し、鉄の量産が可能となりました。
また、元々鉱山の排水に用いられていた蒸気機関の機構を実用化したのがワット。蒸気機関が機械の動力に用いられると、生産効率が恐ろしく上がりますね。さらにフルトンが蒸気船を考案し、スティーヴンソンは蒸気機関車を実用化して、生産物を世界各地へ大量に輸送することが可能になりました。この流れを「交通革命」と言ったりするのですが、綿布から始まった産業革命の副産物なんですね。
そうして19世紀半ばまでに産業革命が確立して「世界の工場」となったイギリス、その繁栄ぶりはパクス=ブリタニカと称されますが、産業革命が資本主義のシステムを呼び起こすと、労働問題が発生して社会主義思想につながっていくのです。
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以上、山本直人氏の近刊『マンガで流れをつかむ ゆるゆる世界史』(光文社新書)をもとに再構成しました。スタディサプリの人気世界史講師が、奥さまのゆるいマンガと解説で世界史をわかりやすく紹介します。
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