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血液がん専門の元臨床医 大病院をやめて予防医療の道へ
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2018.07.20 06:00 最終更新日:2018.07.20 06:05
血液がん専門の元臨床医。大病院を辞めて選んだ道は、病気にならないための医療だ――。
都心の一等地の豪華なマンション。澤登雅一(51)さんが院長を務めるクリニックは、その一室にある。消毒液の独特の臭いはなく、広い待合室はホテルのロビーを思わせる。
大きなガラス窓に向かって革張りのソファが並び、点滴中の男性のかすかな寝息が聞こえてきた。静かで優しい時間が流れる診療所である。
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「大学卒業後は、東京の広尾にある日本赤十字社医療センターでおもに臨床に携わってきました。専門は白血病など血液のがんです。人の健康でいえば最も難しい病気を診てきました。
血液のがんは、悪い部分を切除して終わりというものではなく、また、年齢、性別、職業を問わず、突然発症します。
患者には抗がん剤、放射線、条件が合えば骨髄や臍帯血の移植をします。治るために辛い治療を受けていただいても、3、4割は救うことができません」
澤登さんは、さまざまな患者の最後の生きざまを見てきた。医師になったころは、10年たてば治療の成績も上向くだろうと考えていた。
しかし、治るようになった白血病もあったが、変わらないものも多かった。そして、30代Ω半ばからジレンマを感じるようになった。
「生と死を毎日見つめて治療をおこなっていたわけで、私も疲弊していました。普通の人なら人間の死に接する機会は限られていますが、白血病だと1年で100人を看取ることもあります。それに慣れてしまうことが嫌でした。
人の死は特別で、数ある死のうちのひとつとは思いたくありませんでした。だから『しょうがない』と言われるのがいちばん嫌でした。偽善かもしれませんが、しょうがない死など絶対にないと思っていました」
2005年、38歳のときに転機を迎えた。海外ではアンチエイジング医学という領域が少しずつ知られるようになっていた。とりわけアメリカでは、日本の保険制度との違いもあり、病気にならないための医療が進んでいた。
現地を訪れてこう思った。
「そういう医療をおこなっているクリニックには、通いたくなる雰囲気がありました。第二の人生をより元気に生きるために、ビタミン剤の点滴を受けている夫婦は笑顔が絶えず、それは今まで見たことがない光景でした。
当時、日本のがん治療で点滴といえば、抗がん剤か抗生剤を連想するばかりで、笑顔とは無縁のものでした。病気にならないための医療が、今後日本でも広まるといい。そんな思いからクリニックを始めました」
とはいえ、15年近く勤めた病院と医師の立場を簡単に捨てられたのか。
「有名な病院の医師なのだから、そのまま続ければいいのになんで? とよく聞かれました。でも一回だけの人生だし、やりたいことをやろうと思いました。
私にとって転機とは、突然訪れるものだという感じがします。15年を一区切りで人生設計を考えていたので、医者になってから次の節目は40歳。38歳というタイミングは少し早く、偶然が重なったものだと思います」
澤登さんのクリニックは、保険がきかない自由診療をおこなっている。しかし、訪れるのは、より元気に生きようとする健康な人ばかりではない。保険診療だけでは慢性の不調がよくならない人や、がん患者も訪れる。
「科学的根拠に基づく標準治療を否定するわけではありません。その不十分な面をサポートするのが、私たちの役割だと考えています。
今後は、私たちの医療が形として定着するようにしていきたい。当院で診療を受けていることを、主治医に言いづらいようではいけません。『両方で診ているのだから安心ですね』と言われるような立ち位置になりたい」
そのために、患者が受けたい医療が、なんの制約もなく受けられるような制度になってほしいと言う。ただそれには、「どんな医療もすべて信頼されるものでなければいけません」。
山は高い。澤登さんの努力はまだまだ続く。
(週刊FLASH 2018年7月24・31日合併号)