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【目指せ不思議スポット】埼玉のカッパドキア「吉見百穴」

ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2018.08.02 06:00 最終更新日:2018.08.02 06:00

【目指せ不思議スポット】埼玉のカッパドキア「吉見百穴」

「吉見百穴」

 

 凝灰質砂岩の斜面に広がる、おびただしい数の穴。まるでトルコのカッパドキアを思わせる奇妙な風景は、江戸時代にはすでに「百穴」と呼ばれ、観光名所として栄えていた記録がある。

 

 穴の直径はいずれもおよそ1メートル。その数は現在219個とされているが、未発見の横穴が残っている可能性もある。

 

 この「吉見百穴」について本格的な調査が行なわれたのは1887年のことで、後に人類学者となる坪井正五郎が、東京大学大学院の卒業論文の題材として発掘に着手。

 

 すると、人骨や土器類などが多数出土し、さらには古墳の石室と同様に副葬品や壁画が確認されるなど、考古学的に大きな成果を得られた。

 

 しかしこの時、坪井はこの横穴群を古代人の住居跡と結論づけている。しかもそのサイズから、アイヌの伝承に残る小型の先住民族、コロボックルの住居であると主張したのだ。

 

 彼の説によれば、もともとコロボックルがこしらえた横穴を、後の古墳時代に墓として転用されたのだという。たしかにこの異様な外観を見れば、超常的な存在を持ち出したくなる気持ちも理解できなくはない。

 

 しかし、当たり前のことだが考古学の世界では支持率の低いコロボックル。構造的に住居跡とする根拠に乏しいとの意見が多数派を占めるようになると、いつしかコロボックル説は霧散してしまった。

 

 丹念な発掘調査の末、これが横穴墓群であるとの結論に達し、正式に国の史跡に指定されたのは、1923年のことだった。

 

 横穴の中は入り口よりも広く、これが棺を納める玄室として使われていたとされる。スペースの形状は四角形や台形、円形など様々。

 

 これが古墳時代後期(6~7世紀)に掘られた横穴墓であるのは間違いなく、ほとんどの横穴の壁面には10~20センチ程度の棚状の段も確認されている。ここに遺体を安置されたわけだ。

 

 穴によっては2つの段が設けられているものもあり、複数の遺体を納めることもあったようだから、家族単位で埋葬されたという意見もある。

 

【目指せ不思議スポット】埼玉のカッパドキア「吉見百穴」

 

 吉見百穴が秀逸なのは、いくつかの穴が解放されており、中まで入って見学できる点だろう。

 

 この岩山は、戦時中に地下軍需工場として活用された過去がある。さらに、一部の穴には国指定天然記念物のヒカリゴケが自生しているのも、大きな見どころだ。

 

 

 以上、友清哲氏の新刊『消えた日本史の謎』(知恵の森文庫)から再構成しました。謎の構造物、おかしな物体、奇妙な伝承、未解明のパワースポット…不思議をめぐる旅の記録です。

 

●『消えた日本史の謎』詳細はこちら
https://honsuki.jp/stand/5050.html

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