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大阪万博が日本のファッションと店舗デザインを変えた

ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2018.08.09 11:00 最終更新日:2022.01.06 21:20

大阪万博が日本のファッションと店舗デザインを変えた

 

 1970年に開幕した日本万国博覧会(大阪万博)は、183日間の延べ入場者数は6422万人、当時の日本人口の6割相当が来るという大成功を収めた。この数字は、2010年の上海万博に抜かれるまで(7308万人)世界記録だった。

 

 日本万国博覧会は、日本を目に見える形でも変えた。そのいくつかを紹介しよう。

 

 3月15日に開幕した時、万国博を訪れる観客のほとんどは、背広やスーツ、学生服姿というフォーマルな着衣をまと纏っていた。

 

 だが、9月13日に閉幕する頃には、カジュアルウエアが目立つようになっていた。万国博は日本人のファッションを変えたのである。

 

 それには、万国博のコンパニオンらのユニフォームを担当したファッション・デザイナーらの活躍があったと思う。政府館を担当した森英恵氏、私がプロデューサーを務めた生活産業館のコシノ・ジュンコ氏らが脚光を浴び、日本でもファッション・デザイナーが社会的地位を獲得した。

 

 のちに日本にジーンズを紹介する北本正孟氏も、万国博で大当たりした一人だ。

 

 フランス政府がパリ・コレクションの売店を日本に持ちかけるも、引き受ける企業はなかった。当時、30代半ばだった北本氏はこれに果敢に挑戦する。

 

 自己所有のガソリンスタンドを担保にフランス館の売店(ブティック・ド・パリ)を営み、見事に成功を収めたのだ。この人は長く、日本のファッション・ビジネスのリーダーとして君臨することになる。

 

 万国博が変えたもう一つは、外食産業の店舗デザインである。

 

 私は日本万国博の計画を練っていた頃、万国博の来場者はほとんどが初見客のため、外から店内の様子が見える店造りが望ましいと、外国の本で読んでいた。納得した私は、飲食業界に「外から見える店造り」を勧めた。

 

 ところが当時の飲食大手はこの要請を激しく拒んだ。「フランス人は軒下でコーヒーを飲み、中国人は家の前で食事を取るが、日本人は食べる姿を他人に見られるのを嫌います」と言うのだ。

 

 だが実際には、ケンタッキーフライドチキンなどのアメリカの外食産業が「外から見える」店舗を造ると、大変流行った。

 

 すると日本の飲食店も、窓にかかるカーテンを外したり、壁に穴をあけてガラスをは嵌めたりと、見える化に取り組んだ。万国博を機に、日本でもガラス張りの店舗が人気を得るようになったのである。

 

 国際結婚が増えたことも、万国博がもたらした「おまけ」のようなものだろう。コンパニオンの国際結婚は少なくなかった。大阪の千里ニュータウンには、万国博で働く外国人従業員の宿舎が造られていた。開催期間中、そこへ遊びに行く女性が後を絶たず、国際結婚が増えたのである。

 

 一方で、現在まで変わらない景色も日本万国博にはあった。

 

 混雑時には4、5時間を超えるような長時間の入館待ち行列が常態化していたにもかかわらず、日本人は整然と並び、列を乱す者はいなかった。

 

 会場内での不法な物販もごみの放棄もなかったし、違法駐車もほとんどなかった。この時代、すでに清潔でマナーのよい日本人はできあがっていたのである。

 

 

 以上、堺屋太一氏の新刊『地上最大の行事 万国博覧会』(光文社新書)を元に再構成しました。日本を変えた超巨大プロジェクトの成功の舞台裏を、総合プロデューサーだった著者が初めて明かします。

 

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