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借金7000万円からの逆転「串カツ田中」を支えた女性副社長

ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2018.08.12 16:00 最終更新日:2018.08.12 16:00

借金7000万円からの逆転「串カツ田中」を支えた女性副社長

 

 串カツ田中の社長・貫啓二氏が、7月26日放送の『カンブリア宮殿』(テレビ東京系)に出演した。

 

 串カツチェーンとして現在202店舗を展開し、トップをひた走る串カツ田中。2017年には、創業からわずか10年で55億円を売り上げた。番組で紹介された住宅街にある店舗では、居酒屋であるにもかかわらず家族連れで賑わっていた。

 

 

 社長の貫氏はもともと自動車メーカーのサラリーマンだった。当時からイベントを企画するのが好きだったそうで、「バーベキューに100人ぐらい連れて行ったり、スノーボードに50人ぐらい連れて行ったり。すごく楽しくて、サービス業がいいなと思った」と、飲食業を始めたきっかけについて語る。

 

 27歳で脱サラし、大阪でショットバーを始めた貫氏だったが「全然売れなかった。食べていくのに必死だった。安易な発想で、ビールとかウイスキーを注ぐぐらいならプロが入れても僕が入れても味は一緒かな? と思って始めたので」と告白する。肝心のカクテルも本を見て作るような状態だったそう。

 

 その後、東京・表参道に高級懐石料理店を出店。本人曰く一貫性のない「夢を実現していく前のめりな経営」だったらしい。加えてリーマンショックも重なってしまい、借金が7000万円にも膨らんでいき「半年ももたない」状況に追い込まれた。

 

 そんな逆境のなか、転機をもたらしたのが女性副社長の田中洋江氏だった。

 

 串カツ文化が盛んな大阪西成出身の田中氏は「(以前から)『串カツをやろうよ。東京にないし、あったら流行るよ』とことあるごとに(社長に)話をしていて」と振り返る。ここまで田中氏がこだわったのは、彼女自身が父の手作り串カツを食べて育ってきたからだ。

 

 串カツを試作するうち、田中氏が、父親が書き残していたソースと串カツのレシピを実家で発見。

 

 貫氏は「レシピが見つかってそれで『よっしゃ大成功』じゃない。試食したら『美味しいね』みたいな。最後にやりたかったし、『やれる範囲でやろう』と思った」と説明。すでに亡くなってしまった田中氏の父親に敬意を払い、店名を「串カツ田中」にしたのだという。

 

 ここで司会の村上龍から、借金地獄からなぜここまで成功したのかを問われた貫氏は「難しいですね。やはり運もあると思う」と発言。

 

 村上が、生き残る経営者の共通点は「なぜかわからないがいいビジネスパートナーがいたこと」と指摘すると、「田中(副社長)がいなければ絶対に1、2店舗で終わっていたと思います」と即答した。

 

 さらに貫氏は串カツ田中の成功をこう解説する。

 

「1業態で何百店舗にもなるチェーン店は、時代のタイミングの奇跡みたいなものがいる。歴史を紐解いてみても、巨大チェーンに育っているのは『あのタイミングであの場所だったから』『いまやっても絶対無理』というのがあるかなと。

 

 ただ、(我々は)引いたくじというか『当たったくじ』を育てることは本当に必死にやってきました」

 

 番組では「ソースも10年間の間に30回以上のブラッシュアップ(改良)を重ねている」と明かしていた貫氏。ファミリー層をも魅了する串カツ田中の成功には、知られざる大阪ならではの家族の思い出があったのだ。

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