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25歳で1000万円貯めた男「居酒屋」で年商100億円を目指す
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2018.09.13 11:00 最終更新日:2018.09.13 11:00
自らを語る話しぶりは軽妙洒脱で、あくまでも物静かだ。20代半ば過ぎから読み続けた本の影響で、大きな声を出したことも、怒ったこともないという。
村山有志さん(42)は、居酒屋など何種類もの飲食店を経営する会社の代表だが、そこに至るまでの人生は波乱に満ちていた。
「高校までは野球漬け。卒業したら、夢もやりたいこともなかった。半年ほど実家の看板屋の仕事をした。バブルの名残りで地獄のような忙しさ。息子だから、人に頼めない仕事が全部回ってくる。
残業続きで、朝の5時ぐらいに家に帰り、8時には起こされる。寝て瞬きをしたら起こされる感覚。親父も同じだったけど、40代でバリバリ。こっちは18歳で、10時間は眠りたい。
それだけ働いても、給料は手取りで16万円ぐらい。なんで俺ばっかりと、納得がいかなくて家出をした。20歳ぐらいまでは、友達の家にいるとか、ぷらぷらしていた」
20歳になると、不良だった仲間が真面目に働きだすようになった。
「親は真面目な普通の人。不良グループにいたけど、自分は根っからのワルじゃなくて、真面目にならなければ、と思っていた。ぷらぷらしていたころからサーフィンを始めた。プロを目指すために海の近くに住もうと思い、その資金稼ぎに運送会社に勤めた」
運送の仕事も辛かった。60歳まで働くとするとあと40年。とてももたないと思った。しかし、死ぬ気で10年間働いて、一生働かなくてもすむだけ稼げばいいと考えた。
「何かをやろうと思ったけど学歴はないし、頑張り方もわからない。億万長者になろうという半端じゃない気持ちだけはあった。22歳のときに運送会社を辞めた。
土日の休みしか波乗りができなくて上達しない。給料を貯めた100万円で部屋を借りる予定だったが、毎日海へ行っているうちに資金が少なくなってしまった。それで昼はサーフィン、夜は働くことにした」
夜の華やかな世界で仕事をして、つくづくお金の大切さを知った。全力を尽くして頑張ろうと、サーフィンはやめて、昼も夜も働いた。
「25歳になるかならないかの2、3年で1000万円ぐらい貯めた。無駄遣いや出歩くことは一切しないで、心理学や経営者、成功者の本を読んだ。本を読んだことがないので、すぐ眠くなって同じ箇所ばかり読むなど、苦労した。経営者になるためのセミナー合宿にも参加した。おかげで人間が変わっていった」
貯まった金を元手に、地元の小岩でキャバクラを始めた。経営は上々で店を増やしたが、トラブルが多かった。客との問題だけでなく、大金を盗まれたり、火事を出したりもした。
ストレスのせいもあり、突然、もっと人や社会の役に立つような仕事をしたいと思うようになった。リーマン・ショックの影響で、高単価より低単価の商売が、世の中に受け入れられるようになっていった。
2008年、32歳のとき「居酒屋革命 酔っ手羽 小岩本店」をオープン。1軒しかないのに本店と名づけたが、頭の中には支店が増えていく図が描かれていた。
事実、その後は支店を増やすとともに、飲食の業態も9種と増やした。
「居酒屋とかラーメン屋がいいと思ったのは、客と店がウィンウィンの関係だから。『美味しかった、また来るよ』『ありがとうございます』。ありがとうからお金が生まれる。それでやりがいを感じた」
「仕事は時代の流れに合わせて、勘と経験を生かして臨機応変にやっていこうと思っている。会社を始めたときの目標は売り上げ10億円。それを超えたら、あっという間に20億円近くになった。細かな目標は作らないが、きりがいいので100店とか、100億円いけたらいい」
ところで、村山さんの妹は障害と病気で数年外に出たことがない。
「どんなに嫌なことや辛いことがあっても、妹と比べたら……と思う。妹は僕の守り神的な存在で、いまこうしていられるのは、妹のおかげだと思っている」
(週刊FLASH 2018年9月18日号)