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理系脳で中古ケータイ市場を開拓した男、次なる夢を語る

ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2018.10.25 11:00 最終更新日:2018.10.25 11:00

理系脳で中古ケータイ市場を開拓した男、次なる夢を語る

 

 資金不足を頭で補った。粟津浜一さん(38)は物理から学んだ考える力で、中古携帯の市場を拡大してきた。

 

 岡山理科大学の4年生時は応用物理を学び、筑波大学大学院の航空宇宙工学へ進んだ。NASAの客員教授からJAXAを経て、筑波大学に赴任した “天才教授” のもとで学びたかった。

 

 

 宇宙工学と現業の中古携帯電話の売買。まったく関係のない両者を結びつけたのは、粟津さんの “とことん考える物理脳” にほかならない。

 

「大学院では2年間、『SPICA』というプロジェクトに参加していました。SPICAは、ビッグバンで生まれたときの宇宙を観測する赤外線天文衛星。

 

 人工衛星の中の『赤外線素子』で原始宇宙を観るのですが、ほぼ絶対零度(マイナス273.15度)まで下げないと、ノイズが入ってきれいな画像が撮れない。

 

 ヘリウム3を使って冷やすシミュレーションをしていましたが、研究者に向いてないのか、できなかった。SPICAは2010年に打ち上げの予定でした。

 

 でも、小惑星探査機『はやぶさ』の成功で、予算がそちらに行くようになり、いったんは計画自体が立ち消えになってしまいました」

 

 大学院はなんとか修了した。大学に残る道もあったが、能力と適性に欠けると自ら判断。それでJAXAの総合職だったらと受験したがかなわず、結局、学校推薦枠のひとつだったブラザー工業に就職した。

 

「岐阜の出身で、名古屋が地元のブラザーには馴染みがあったし、中日ドラゴンズのファン。仕事後のナゴヤドームでの観戦が楽しみで選びました

 

 入社は2004年。研究職で、5年後、10年後の会社の柱を作る部署に配属され、いろいろな研究をさせてもらいました。慶應大学理工学部のキャンパスへ通い、共同研究で論文も1本書きました。

 

 研究者にとってメーカーには、メカ、ハード、ソフト、エレキという4部門がありますが、一応全部まわり、いろいろな知識が身についた。今の仕事に直接はつながらないのですが、土台ができました」

 

 2007年、会社を辞めた。

 

「同じことを続けているより、いろんなことを考えてパパッと動きたいタイプ」

 

 さて何をするか、高級外車のレンタルなど30種類ほど考えた。そのひとつが中古携帯の売買。携帯の普及率はすごいのに、中古マーケットがないので、おもしろいと思った。

 

 2009年、パートナーと資金を出し合い、資本金30万円で現在の会社の前身となる企業を立ち上げた。資金がないので、会社の存続を第一に、ネットオークションで買い取りを始めた。しかし、それは同時に、悪戦苦闘の日々の始まりともなった。

 

「買い取り量を増やす策を練りました。まずは、会社が業界のリーダー的立場になる必要があると考え、業界紙の『リサイクル通信』に売り込んで、コラムを書くようにしました。

 

 それが転機となり、話が広がっていったんです。FC展開をするために、リサイクル関係の新聞社とタイアップして、各地で説明会を開きました。新幹線代やホテル代がなくて、往復には夜行バスを利用して。

 

 バスの出発、到着時にコブクロの『蕾(つぼみ)』が流れる。この歌を聴くと、今でもあのときのことを思い出します。結局FCではなく代理店システムを作り、代理店を増やしました」
 2010年にはパートナーと別れ、会社は危機を迎えた。しかし、その後に新しいパートナーとなる現取締役が入社し、楽天市場でEC(電子商取引)を始め、成功した。それも転機となった。社名も「携帯市場」に変えた。

 

「企業として大きくするのは今年から。ECサイトで携帯端末をただ売るのではなく、その人の携帯生活を豊かにする物品を、一緒に売ることを始めました。産直商品を扱う準備もしています」

 

 さらに将来的には、各家庭に眠っている大量の携帯の再生を考えている。

 

「障害者の方による、携帯の検品のシステム作りも進めています。社会貢献にもなるし、会社にとってもプラス。中古携帯の売買がコアで、そこに新しい種をまいて成長させることが、僕の仕事です」

 

 また2019年、中古端末のSIMロック解除が義務化された暁には、アジアやアフリカに手を広げることも考えている。『蕾』の歌にもあるように、信じたはきっとどこかで咲くことだろう。

 

(週刊FLASH 2018年10月30日号)

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