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「独歩」と名乗り始めたら仕事運が好転したデザイナーの物語

ライフ・マネー 投稿日:2018.12.06 11:00FLASH編集部

「独歩」と名乗り始めたら仕事運が好転したデザイナーの物語

 

 一口にデザイナーといってもその範囲は広い。岡田独歩さんはグラフィック系だが、書籍からロゴ、ポスター、ウェブ、看板、壁画制作、店舗デザイン、絵画と幅広く手がける。

 

 岡田さんは高校卒業後、転々と仕事を替えた。やりたいことが定まらず、どうせやるなら変わった仕事をと、探偵事務所、ポーカーゲーム店、六本木のクラブで働いたりした。

 

 

「子供のころから絵が好きで、20歳のころに思いついたのが映画看板を描く仕事。タウンページに載っている看板屋に片っ端から電話をかけましたが、相手にされなかった。

 

 今思えばひどい絵を描いていたが、やみくもにイラスト公募展などに応募を始めました」

 

 仕事もイラスト関連に絞ったが、問い合わせをすると、必ず美術関係の経歴を聞かれた。まだ遅くないと思い立ち、美術専門学校に入った。

 

「21歳から2年間、アルバイトをしながら通いました。人生が180度変わった。学校には刺激を与えてくれる人がたくさんいて楽しかった。みんなに追いつこうと、寝る間も惜しんで勉強しました。

 

 力を入れたのはデザインよりアート。卒業制作などで賞をもらうようになって、いけるなと思った。そう思ったら、まだ試したことのない、今しかできない刺激的なことに挑戦したくなった。

 

 それで、アート活動の一環として、ギター、ベース、ドラムのジャム・バンドを仲間と始めました」

 

 ジャム・バンドとは、即興演奏するロックバンド。3人とも譜面は読めないし、楽器を持つのも初めて。しかし、勢いと決意だけを武器に表現するスタイルがおもしろがられて、演奏する場はいくつもあった。

 

「僕はベース。演奏したのは全部オリジナル。曲作りはイメージを語るだけ。それで勝手に演奏するめちゃくちゃなバンド。ところが、5年近くやっているうちに、技術的に少しうまくなってしまった」

 

 舞台美術や衣装、プロモーションビデオなどを、総合的にセルフプロデュースしたいという考えもあった。28歳のとき、音楽志向が強くなった2人と考えの違いが鮮明になり、解散。絵の世界に戻った。

 

 32歳のとき、知人に推薦され、群馬県中之条町で開かれた芸術祭「中之条ビエンナーレ」に参加。廃校の放送室で絵を展示した。

 

「そのときから『独歩』と名乗るように。小さな広告代理店に勤めていて、仕事と自分のアート活動を区別したかったんです」

 

 独歩と名乗ったことは大きな転機となった。その後、会社を辞めフリーランスとして独立したが、生活が厳しく、絵を描いているどころではなくなった。

 

「偶然かもしれないが、それまで蒔いてきた種が実をつけ始めた。当時、経営不振の小さな飲食店の再建に向け、デザイン面のプロデュースをしたら、それがいまや30店舗にもなっている。

 

 そういうことも新たな仕事につながったし、経営者に会う機会も増えて、人脈もできた。今は独歩が一人歩きしている」

 

 仕事が増えて、一人ではこなせなくなった。外の業者にまかせることもあるが、断わる仕事も多い。会社の設立も頭をよぎる。

 

「次のステージへ進む段階です。会社を作るとしても規模を大きくするつもりはなく、少数精鋭で大きな仕事、おもしろい仕事、より刺激的な仕事がしたい」

 

 独歩の名前は、国木田独歩の影響ではなく、「独立独歩」から。順風に乗って、新たな一歩を踏み出す日も遠くない。

 

(週刊FLASH 2018年12月11日号)

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