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ニッポンにある“外国”「神奈川・リトルサイゴン」を行く!
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2019.01.14 16:00 最終更新日:2019.01.14 16:00
食、宗教、言葉……異国の地で、同じ国の出身者が固まって住むのには理由がある。日本人と外国人が歩み寄って暮らしている神奈川県横浜市・大和市の通称「リトル・サイゴン」へ、日本の将来を考えるヒントを探しに行った。
横浜市と大和市にまたがる神奈川県営いちょう団地周辺には、多くの外国人が住んでいる。なかでもベトナム料理を扱う店や食材店が4店、集中しているため、「リトル・サイゴン」ともいうべき様相を呈している。
そんな飲食店のうちの1店、「バインミーヴィエ」の人気メニューは、店名の由来にもなった「バインミー(ベトナム風サンドイッチ)」だ。
「日本の人もたくさん来ます。日本人もベトナム人も、お客さんはみんな同じですよ」(同店を切り盛りするウティ・キムフクさん)
1975年から1995年にかけ、ベトナム戦争終結後の迫害を恐れた多くのベトナム人たちが、小型ボートで周辺国に亡命した。
ウティさんも、長さ9.6メートルの船に72人で乗り込み、海を越えて日本に逃れてきた。日本での苦労話を聞くと「昔のことはもういいです。日本はいい国。なにより安全だから」と笑うだけだった。
「10カ国以上の人たちが住んでいて、3世帯に1世帯が外国人世帯。そのうちベトナム人は178人です。
1980年2月に、大和市に定住促進センターが開設され、『ボート・ピープル』と呼ばれるインドシナ難民の方たちが、隣接するこの団地に住むようになったんです。
周辺には自動車関連の下請け工場も多く、彼らを受け入れる仕事先もありました」(いちょう団地連合自治会副会長の小松秋夫さん、以下同)
団地にはゴミの出し方や騒音についてなど、複数の外国語で書かれた看板があちこちにある。こうした取り組みから、いちょう団地は「多文化共生」のモデルケースとして注目されている。
だが、当初から日本人と外国人がうまく共生できたわけではなかった。
「トラブルは、挙げればきりがないほどありました。かつてはスープを取るためベランダで牛の骨をナタで叩いたり、鶏を絞めたりする人がいました。夜中までカラオケで騒いで、清掃にも参加しません。
文化の違いとはいえ、彼らを『あいつら』呼ばわりする日本人もいました。でも、排除の論理になってはいけない、同じ人間として接しよう、と心がけました」
最初に団地のイベントに外国人が参加したのは、1990年の餅つき大会。その後も交流会などを続けて徐々に互いの理解を深めてきた。
そして1994年からは、地域の小学校、外国人を支援するNPO、行政などのバックアップを受け、「団地祭り」を開催するようになった。民族音楽が演奏され、各国料理の屋台が立ち並ぶ。
「外国人と暮らすなかで、何か問題が起きたら、我慢して溜め込まず、こちらの意図を相手に伝えることが大事だとわかりました。
日本流の『わかってくれるはず』は通用しません。そのうえで、相手の国の習慣や文化を理解し、受け入れる寛容さが求められます」
(週刊FLASH 2019年1月22日号)