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『なか卯』で出世の道を歩んだ男、退職して外食企業の社長に
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2019.02.21 16:00 最終更新日:2019.02.21 16:00
高校時代に観ていた、医師を題材にしたドラマが、人生に少なからぬ影響を与えた。
「人の命に関わる仕事がしたい」
そう思った臼井大士さんは、「医学部に行きたい」と両親に話した。
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両親からは、「国公立でなければ学費を出すのは無理だ」と釘を刺された。国公立大学の医学部は、合格するのがたいへん難しいとされる。勉強を始めるのが遅すぎた。センター試験の結果で、夢は早くも散ってしまった。
「それでも気が変わらなかったので、臨床検査技師を目指して、医療系の専門学校へ進みました。授業で病院見学に行く時間があり、そこで病院の担当者にはっきりと、『病院は利益を追求するところだ』と言われてしまった。
間違いではないのでしょうけれども、病院の方に言われてしまうと、人のために役に立ちたいという熱い思いが、そのときに冷めてしまった。
患者さんも選別するとか、ドラマにあるような生々しい話も聞かされた。そんな環境ではやりたくないというか、一気に医療に対する意欲が下がってしまいました」
何も考えられなくなってしまった臼井さんは、家に引きこもりがちになった。
「とりあえず履歴書は用意したのですが、出すあてもない。とにかく外に出なければダメだと思っていました。そんなとき、たまたま大阪府交野市の実家の近所が再開発されて、飲食店とドラッグストアがオープンすると聞いて、アルバイトの募集に応募しました。
それが外食チェーンの『なか卯』です。飲食業に携わるきっかけになった店で、その後の人生を決めたといえる大きな転機でした。23歳のときです」
最初の数カ月はアルバイトで、半年後には社員になり、そして出世の道を歩んだ。
「入社時は副店長。それから2カ月ぐらいして、『名古屋に行ってくれ』と急に電話が入った。そのタイミングで店長になった。24歳になる前です。その年で店長というのは珍しいわけではありません。
入社しようと思ったのも、同い年の社員さんから、『学歴とか関係ない。休みも少ないし労働時間も長いけど、やったらやったぶん評価される』と言われたことが大きい。フリーターでいることや、大学受験に失敗した劣等感みたいなものも若干あったのでしょうね」
名古屋に転勤してからは、スタッフの協力もあり、大きく業績を上げていった。評価もされて、1年後には店長から主任店長へ昇進した。ところが、出世したことを嫉妬され始める。大阪の本部から「臼井はずし」の動きが出始めた。
直属の上司が代わり、その上司が子飼いの部下を名古屋に連れてきて出世させるようなことが増えた。このままでは先が見えない、と考えるようになった。労働環境もよくなく、飲食業にも嫌気が差し、約5年間勤めた「なか卯」を辞めた。
「自分の選択がどうだったのか、よく考えました。『なか卯』しか知らなくて、収入も外部の状況を知らなかった。保険会社の営業に転職しましたが、実入りがぜんぜん違った。
住居費とか個人負担の支出が多くなり、歩合制のため、収入も安定しなかった。『なか卯』に残っていたら、こんなにお金の苦労はしなかったと思うことがよくあった。
でもあのままいたら、体調や考え方もおかしくなっていただろうし、後悔はしていない。自分が世間知らずなことに気づけたし、サービス業が好きなことも再確認できた。そのときの経験や思いは、今に生きていますから」
1年半ほどで保険会社を辞め、「リンク・ワン」という、直営店を持つ飲食業の会社に転職した。東京に出て仕事をしたいと思っていた時期に、偶然出会った会社だ。しかし4年後、民事再生手続きに入る。
結果、コンピュータ会社の(株)MCJが親会社となり、(株)ウインドウが店舗と従業員を引き継ぎ、運営することになった。会社に残った臼井さんは2017年、39歳で代表取締役社長に就任した。
「規模の拡大も目標ですが、いま会社が持っているスープカレー、お好み焼き、地魚屋台のブランドを、ずっと残していきたいという思いが強い」
消費増税、受動喫煙対策、働き方改革、東京五輪後の経済環境……。若き社長の腕の見せどころは多い。
(週刊FLASH 2019年2月26日号)