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バブル崩壊で多額の借金を背負った蔵元、復活への道は
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2019.02.26 16:00 最終更新日:2019.02.26 16:00
継承というよりも、開拓という言葉がふさわしい。 高嶋酒造の高嶋一孝さんは、蔵の歴史を基礎にしながらも、大ナタをふるうように、高嶋酒造のあり方を開拓した人である。
社訓「精力善用 自他共栄」も新たに高嶋さんが考えたもので、自らを鍛えて得たものを、他人と分かち合い、共に栄えるという意味がある。
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じつはこの言葉は、柔道の創設者である嘉納治五郎氏の教えであり、古くから酒処として知られる灘の酒蔵の数社が開校した、関西の名門・灘高校の教育方針でもある。
このふたつが端緒となり、学生時代は柔道に打ち込んだという高嶋さんが、理念として選んだ言葉だった。
高嶋酒造は海が近く、もともとは、漁業の網元だった初代が創業。東海道の宿場町として栄えたこの場所で、行き交う多くの人たちのために、酒造りを始めた。
ところが、宿場町の衰退とともに、需要は激減しつづけ、先代は酒蔵だけでは食べていけないと、特にバブル期は、多角的なビジネスに着手する。
だが、バブル崩壊の影響で多額の負債を背負うことに。負債を抱えたまま、酒も売れないという経営難に陥った。
そんな状況で、高嶋さんが蔵を継いだのが2003年。経営を立て直すと同時に、「薄っぺらい味だった」という酒質も改善。自分の造りたい味を追求し、販路も一から開拓する。
結果、需要が高まり、今や愛好家の間で広く知られる銘柄になった。
「僕が造りたいのは、燗酒でたくさん飲めるスタンダードな辛い酒。むやみに主張する味ではなく、さりげなく個性が滲み出る酒を目指しています」
今までの高嶋酒造にはない酒を育みながら、高嶋さんは歴史を紡いでいく。
<蔵元名>
高嶋酒造(静岡県)
創業215年(1804年)
<銘柄>
白隠正宗(はくいんまさむね)
<社訓>
精力善用 自他共栄
静岡県沼津市原354-1
http://www.hakuinmasamune.com
取材・文/山内聖子
撮影/三浦英絵