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胃ガンとうつに克った男、焼酎を年間14万本売って日本一に
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2019.04.11 11:00 最終更新日:2019.04.11 11:00
フェイスブックでは、「泥亀仙人」と呼ばれている。なるほど、白髪を肩まで伸ばし、六本木の芋洗坂を足早に下る姿は、やはり仙人だ。
「みんな『仙人、仙人』と呼ぶ。そう呼ばれるもんやから、切れなくなって、伸ばしたまま。前は短い髪型やったけどね」
そう言って笑う野村勇さん(60)は、愛媛県今治市の出身だ。2018年に還暦を迎えたが、どちらかといえば小柄に見える体には、エネルギーが詰まっているようだ。歩くのも速いが、しゃべるのも早い。
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この仙人は8年前、自ら企画して蔵元に造ってもらった焼酎をぶら下げ、今治から1人で東京に売り込みにやってきた。
「焼酎に興味を持ったのは、37歳のときに、今治で焼酎バーを始めてから。15年ほどやりおった。700銘柄ぐらい焼酎を扱った。九州から来る焼酎の8割は芋焼酎で、2割が麦焼酎。
そのなかに、長崎の『大島酒造』の麦焼酎があった。出会ったのは45歳ぐらいのとき。この焼酎は大麦が主原料で、香りがフルーティで味がまろやか。しかも、二日酔いにならん。
飲食店を経営しているお客さんが、飲みやすいのでうちにも入れてほしいと言う。でも、地元の酒屋さんでは手に入らん。僕が商売抜きで手に入るようにと、何百軒も飲食店を酒問屋に紹介した」
50歳のときだった。「愛媛に自社の焼酎をよく売る店がある」との評判を聞きつけ、大島酒造の社長が、長崎から訪ねてきた。すぐに意気投合して、社長が野村さんの好きな焼酎を造ってくれることになった。
大島酒造にある麦焼酎に手を加えて、アルコール度数を20度に下げ、飲みやすくした焼酎を造ろうと、野村さんが提案した。その結果完成したのが、昔ながらの製法で仕上げた、乙類の本格焼酎「泥亀」の麦と芋である。
「泥亀は、スッポンという意味。地元のお坊さんにつけてもらった。泥の底から這い上がるという意味がこめられている。題字は、地元の画家に描いてもらった。ラベルとネーミングと味と価格。四拍子揃った焼酎が出来た」
ところで、野村さんは41歳のときに胃ガンの手術をした。幸い初期の段階だったので、命に別状はなかった。だが再発や転移を恐れるあまり、うつ状態に陥った。家から出られずにテレビばかり見る日々が続く。そのときに思った。
「このままではいかん。残りの人生を懸けて夢中になれる何かを探そう」
泥亀には、その思いがこめられている。日本一と胸を張れる商品は出来た。だが、地元で頑張って売っても、その売り上げはすぐ頭打ちに。最大の転機は、52歳のとき、上京したことだった。
「絶対日本一になれるという感覚があった。名前をつけてくれたお坊さんと、字を描いてくれた画伯の2人に『この焼酎には命があって売れるから、大阪ではなく東京で勝負しろ』と言われた。
それで8年前、店と家を整理して、知り合いが誰もいない東京に出てきよった。始めたときは、サンプルを1本でも多く作って酒屋や飲食店に配るため、深夜営業の喫茶店や漫画喫茶で寝た。
最初の3年ぐらいは、誰も知らん『わけのわからん者』だから、うまくいかん。ここ3年ぐらいで、自分の事務所兼住宅を持てるようになった。
芽が出たのは1年2カ月前。フェイスブックでアピールしたのが効いた。SNSがなかったらこんなに広がっていない」
「泥亀」は現在、年間14万本売れている。焼酎のPB(プライベートブランド)商品としては日本一とのことで、これを30万本にするのが当面の大きな目標だ。また2019年は、泥亀が出来て10年になる。
そこで、泥亀の原点ともいえる度数が25度の麦焼酎、「泥亀プレミアム」を2月に発売。また、つけ汁つきの「インスタント讃岐うどん」の販売もおこなうようになった。
「抹茶の入った細い半生麺に、泥亀の麦を仕込んだので茶亀麺と名づけた。締めには最高」
もうひとつ手がけるようになったのが、ゴマ唐辛子だ。
「むちゃくちゃ美味しくて、平成でいちばんの万能調味料」
いずれも語気に力が入る。焼酎、うどんにゴマ唐辛子の三本の矢。泥亀仙人は、今日も足早に都会を歩きまわる。今治なまりの早口で、商品の売り込みに余念がない。
(週刊FLASH 2019年4月2日号)