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40歳で家業を継いだ男、社員3分の1に減った危機からの逆転

ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2019.05.30 11:00 最終更新日:2019.05.30 11:00

40歳で家業を継いだ男、社員3分の1に減った危機からの逆転

 

 家業を継ぐ人は多い。しかし、うまくいくかどうかは、会社の継ぎ方による。杉本竜彦さん(53)の場合は、青天の霹靂で、みずから描いていた人生設計が大きく狂ってしまった。結婚したばかりの30歳のときだった。

 

 ある日、父親から「ちょっと家に来てくれないか」と呼ばれた。父親は1971年に、県内初といわれる車の陸送会社を千葉市に創業。25年近く事業を続けていた。

 

 

「家に行くと、『これを見てくれ』と数枚の決算書を渡されました。会社の状態が、よくないことがわかりました。『見てのとおりだ。人も減らさなければいけない』。バブル崩壊後の不景気で、新車を運ぶ仕事が減ったのが原因でした。

 

 最後に父が、『いざとなれば俺の生命保険がある。その手のやつに頼めば、ひとりぐらい平気で殺してくれる。それで会社を清算して、母親の面倒を見てやってくれ』。

 

 父は、お金があれば、人にご馳走したり、地方競馬の馬主だったので馬を買ったり……。豪快な人でした。本当にやりかねないとも思いました」

 

 しかし父親には、入社すると即答できなかった。当時、杉本さんは旅行関係の会社に勤めており、国内のほか、アジア各国を飛びまわっていた。それが楽しかった。

 

 家業の陸送には興味がなく、将来は資格を取って、旅行代理店を経営したかった。それに妻とは、家の仕事は継がないという約束で結婚していた。

 

「妻に事情を話し、父の会社に入りました。ですが、何年も納得してくれなかった。父親の会社に入ってからは、まともに給料がもらえない。それまで住んでいた新築の賃貸マンションから、県営住宅に引っ越しました。ぎりぎりの生活で、妻には本当に申し訳なかった。

 

 じきに子供も生まれましたが、満足なことはしてあげられない。絶対に今の生活から脱しなければ……。それが、仕事に対する強いモチベーションになりました」

 

 父親と喧嘩をしながら、これまでのようにディーラーに頼るのではなく、独自に注文を開拓する路線に変えた。不景気で新車が売れなくなり、ディーラーは自社で車を運ぶようになっていた。

 

 そこで杉本さんが注目したのは、中古車。実際に中古市場が伸びてきていた。

 

「中古車店とつき合いを始め、中古車のオークション会場が登場したときに、そこと提携しました」

 

 輸送の中心を、新車から中古車にシフトさせていった。10年続け、会社も徐々に業績が上がっていった。だがこれから儲けようという矢先に、父親が脳梗塞で倒れた。

 

「40歳で社長を継ぐという最大の転機を迎えました。ところが、『お前が社長になったら、この会社は駄目になる』。そう言って、古参のドライバーが全員辞め、社員が3分の1になったんです」

 

 辞めた原因は杉本さんの態度にあった。父親から、「人を大事にしないと会社は続かないぞ」と何度も言われていたのに、社員の名前すら覚えなかった。たんなるドライバーとしてしか見ていなかった。

 

「仕事の動機がお金を稼ぐことにあった僕には、父が言うことがわからなかった」

 

 父親はリハビリを頑張っていた。会社を残すためには、自分が変わらなければいけないと思うようになった。

 

「社員の名前を覚え、起業家向けの勉強会にも行きました。そこで仲間がいっぱいできて、彼らの成功例を聞いて、とにかくまねをした。社員に手紙を書き、彼らの奥さんの誕生日に花を贈り、家族同伴の社員旅行も企画しました。

 

 社員を公私ともに巻き込んで仕事を続けていると、社員も会社をよくしようという意識を持つようになり、会社が変わっていった。いまでは、同業他社と比べ、ドライバーが辞めない会社になりました」

 

 2013年、運送業界の健全な発展を支えるために設立された、一般社団法人「ドライバーニューディールアソシエーション」の初代理事長に就任。翌年には、「トラックドライバー甲子園」を開催し、実行委員長を務めた。ドライバーに焦点をあて、運送業界で働く価値などを提言するイベントだ。

 

「最初は7社だった参加企業が、今年は200社近くになった」

 

 2009年に亡くなった父親と、みずからを変える機会をくれた業界への恩返し。ドライバーの地位向上のため、杉本さんの仕事は続く。

 

(週刊FLASH 2019年6月4日号)

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