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野球ひと筋の人生を外れた男、婿入りした老舗酒店の拡大を狙う
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2019.06.20 11:00 最終更新日:2019.06.20 11:00
嶋田雄二さん(45)は、小学生のときから大学2年生まで、野球一筋の生活を送った。勉強は大嫌い。将来の夢は、高校野球の指導者になることだった。
球児憧れの甲子園に、春夏合わせて9回出場したことのある宇都宮工業高校在学中は、3年生のときにキャプテンを務めた。部員をまとめ、甲子園を目指したが、かなわなかった。
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野球の強豪校である、岩手県花巻市の富士大学に進学し、夢に向かって着実に進んでいた。
「冬休みに家に帰ったとき、4歳上の姉の、小学生時代の友達に会う機会がありました。彼女は、東京で幼稚園の先生をしていて、やはり休みで帰省中でした。
私は東北で野球をしていましたが、東京遠征もある。そのときに、食事に行こうと彼女にお願いをしました。その後、東京に行くたびに会い、やがてつき合いを始めるようになりました」
彼女は、1913年に栃木県鹿沼市で創業した、老舗酒店の次女。2人姉妹で、姉はすでに他家に嫁いでいた。
「東京でつき合いを始めたころは、よく『母が頑張っている姿を見てきたので、帰って家の仕事を手伝いたい』と言っていました」
彼女は、糖尿病を患っていた父親から、「早く婿を取り、家を継いでほしい」と言われていた。
「彼女は父に、『つき合っている4つ年下の彼氏がいる』と説明したそうです。すると、『そんな球転がししているガキとつき合ってないで、いい見合い話があるから、会って早く結婚しろ』と。
そう言われたことを聞いて頭に血がのぼり、『じゃあ、大学をやめて俺が跡を継ぐ』。誰にも相談せず、勝手に大学をやめました。彼女にぞっこんだったんです。
そして結婚して婿入り。大学2年の20歳のときで、妻は24歳。人生最大の転機でした」
高橋姓から嶋田姓に。両親にも婿入りを反対された。高橋家は七代続く大工の家。しかし、すでに兄が家を継いでいたのと、大学をやめてしまっていたことで、両親も結婚を認めざるを得なかった。
「ただ、勝手に大学をやめてしまったことで、当時の高校の監督さんや、OBの方々の期待を裏切ってしまった。OB会など、野球部の集まりへは行けなかった。商売で認められるようになろうと、頑張るしかありませんでした」
婿入りしたが、すぐに家を継いだわけではない。先代も先々代も奉公した、酒問屋に勤めることになった。ところが、1年ほど勤めたとき、義理の父が脳梗塞で倒れ、寝たきりになってしまった。それで家に戻ったが……。
「義理の母は看病。あとはおばあちゃんと妻と私。わからないことばかりで、てんてこ舞いでした」
26歳のとき、広い土地を購入し、店を移転した。だが、義父は新店舗を見ることなく、工事中に亡くなった。義父の死後、嶋田さんが会社を継ぎ、売り上げは7倍に。事業所は3つに増えた。家族3人で営業していたが、今では15人の従業員を抱える。
「配送の仕方もいろいろ。注文をいただいて、ただ配達するだけのときもあれば、飲食店さんの場合、冷蔵庫に収めることまでするときもあります。そのため、お店の鍵を預かる。
信頼関係があるので、まかせてもらっています。お客様に喜んでいただくことをするのが、うちの方針です」
酒屋は儲かる商売ではなく、業界全体では店の数は減っているのが実状だという。
「でも、酒がなくなることはない。ただ買う場所が変わる。だから選ばれる酒店になっていればいい。
会社として組織を強くして、飲食、販促事業、コンサルティングなど、違う分野にも進出したい。実際に乾物屋さんの事業を継承し、乾物の販売を始めました」
いまの嶋田さんを作っているのは野球。とくに指導者から言われた言葉が残っている。
「ひとりきりでのバットスイングの練習でも、『天は見ている、地は見ている、己は見ている』。 野球の神様は見ているから、こつこつ自分を磨くことだと。
会社の理念も『お天道様に誇れる生き方をする』です。お天道様は、自分自身を指しているとも思います。問題から逃げていないか、常に自分に問いかけろ、ということが大事だと考えています」
きっと酒の神様も、嶋田さんや社員の努力を見ているに違いない。
(週刊FLASH 2019年6月25日号)