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50歳で脳出血に倒れた経営者、会社を手放し東南アジアに投資
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2019.06.27 11:00 最終更新日:2019.06.27 11:00
男5人、女6人という兄弟姉妹のなかで育った。馬場正信さん(62)は、末っ子だ。3番めの兄は、レンタルビデオチェーンを立ち上げ、1999年に業界初の上場を果たした会社を経営していた。
馬場さんは、長らく3番めの兄のもとで働いていた。ほかの兄も皆、自分で事業を起こしていた。兄たちの影響もあり、馬場さんの起業も自然なことだった。それは42歳のときだった。
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「インターネットカフェという商売を2000年に創業して、運よく6年後に、名古屋証券取引所のセントレックスに上場。
成功した理由のひとつは、同業の他店との差別化です。広くて豊かな空間作りを心がけました。全国に直営店、加盟店合わせて100店ほど展開しました」
ところが2007年、50歳のとき、仕事のために東名高速を運転中に、脳出血を発症。救急車で静岡市の病院に搬送された。
「仕事でどんなに成功を収めても、死んでしまったら意味がないと、価値観が変わったんです。それが人生の最大の転機になったんだと思います。3週間後、東京都内の病院に移り、リハビリを始めました」
だが入院中に、会社ではクーデターが起きていた。役員たちがメインバンクに行き「社長は脳出血でもう話せず、復帰できない」と伝えていた。
「退院して、銀行の支店長に会いに行ったら、『社長、話せるのですか? 先週役員が2人来て、社長は倒れてもうしゃべれないので、次の役員を連れてきた、ということでしたよ』と。
びっくりしました。しかも銀行は、調べもせずに、すでに稟議を本部に上げていました。銀行から来た役員たちに、仕組まれていたのです」
倒れたときに悟ったこともあり、銀行や役員たちとは戦わず、会社を手放す決断をした。株は50数%保有していて、いくつかのファンドが買いに来た。残る社員の今後のためを思い、大手コーヒーチェーングループが出資するファンドに売却した。
「あのとき、高い値をつけたファンドもありましたが、社員のことを考えてくれるところに売りました。値段だけで決めていたら、加盟店さんや社員から『売り抜けした』と言われたと思う。そうしなかったから、いまでも社長、社長と慕ってくれています」
脳出血で倒れたあと、ベトナムにいた知人から、「こっちでゆっくりしたらどう?」と誘われていた。誘いに乗り、ベトナムのホーチミンとハノイを訪ねた。本当にゆっくり過ごすことができた。
「そのとき、たまたま一緒になった先輩が、『これからベトナムでは、美容室がおもしろいかもしれないよ』と言っていたんです。ベトナムでは、女性がどんどんパーマをかけるようになっていた。
東京に戻ってから、美容室を経営する社長にベトナムの美容室事情を話したら、『やりたい』と」
「調べてほしい」と頼まれ、半年後にホーチミンの美容室事情を調べに行った。現地の日本人会の会長は、「多くの女性が外で働くようになり、美容室はビジネスチャンスになる」という。
かくして、2008年9月、ホーチミンに地下1階、地上3階の美容室「マノマノ」をオープンさせる。
「美容師は日本から連れていきました。日本の技術を学べると宣伝し、現地女性スタッフを募集したところ、定員100人に600人以上の応募があった。
私は、『投資をした会長』のような立場で関わった。初めてのことで思わぬ問題も出て、最終的に経営は成功とはいえなかった。
でも、現地採用したスタッフのなかには、『東京ビューティ』の看板を掲げて、活躍している人たちが、いまも大勢います。また、現地に出店する日本人美容師も出てきました」
馬場さんは現在「アジアの会」を組織し、代表理事として勉強会やコンサルティングをおこなっている。新聞社や経済団体と組み、多くのセミナーを開催している。
じつは馬場さんは、フィリピンの日本人向け語学学校にも投資し、成功を収めている。現地政財界との太いパイプを作り上げた。ベトナムやフィリピンだけではなく、東南アジア諸国にネットワークを広げてきた。
「私は現地の人が喜ぶことにしか、投資はしません」
アジアを舞台に、馬場さんの活躍の場は、さらに広がっていきそうだ。
(週刊FLASH 2019年7月2日号)