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スカパーで活躍した住商マン、独立して「肉フェス」仕掛ける

ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2019.07.18 11:00 最終更新日:2019.07.18 11:00

スカパーで活躍した住商マン、独立して「肉フェス」仕掛ける

 

 平成から令和に変わる連休中に、東京と大阪で11日間にわたり「肉フェス」が開催された。肉料理に特化した食の大イベントだ。2014年に初めておこなわれて大成功を収めて以来、毎年おこなわれている。

 

 このイベントを最初に企画し、プロデュースしたのが、畠山祐聖さん(43)だ。畠山さんは、さまざまなイベントの仕掛人として知られる。たとえば、政府が発信する「クールジャパン」のひとつ、「kawaii」を、各国に発信する事業にも関わってきた。

 

 

「海外で日本文化のイベントを開催したときに、海外の方たちにウケたのが、日本の食。当時日本ではネット上で、肉ブームの予兆があったので、気軽な気持ちで開催したら、偶然当たったんです」

 

 畠山さんは、秋田県八峰町の出身だ。最近は生薬の里として、山間の美しい風景がCMにも登場する。

 

「17歳のときに、建築士だった親父が亡くなりました。それが人生最大の転機となりました。楽観主義者のつもりでしたが、そのときはいちばんへこみました。

 

 でも、親父が生きていたら、親父に甘えてしまって、ろくな男になっていなかったと思います。大学も行ったかどうか……」

 

 大学に進んでほしいとの母親の願いで、中央大学に進学。上京し、映画館や遊技場での遊びに出会い、エンタテインメントの世界にどっぷり浸かった。卒業後の就職先は、エンタテインメントの関連企業を志望していた。

 

 卒業後、住友商事に入社する。希望は、同社のメディア部門。しかしそこではなく、大阪本社営業部に配属された。阪急電鉄や阪神電鉄を担当し、鉄道の制御システムから、駅の電球まで売った。

 

「27歳のときに、希望の部署であるメディア部門の映画を手がける部署に異動になり、その後スカパーの投資部門に出向したことが、2つめの転機になりました」

 

 当時「スカパー!」は、テレビ局、広告代理店、商社が株主となっており、役員を含め、多くの出向者を抱えていた。

 

「フジテレビの役員経験者などが部門のトップ。住友商事の雰囲気と違い、僕に合った素晴らしい環境でした」

 

 YouTubeとの提携や、当時は珍しかった独自のインターネット配信も実現した。商社と違った、のびのびとした自由な環境で仕事ができた。いまでは当たり前のこととなったが、携帯電話向けに、海外サッカーの試合を生配信した。13年も前のことだ。

 

「でも、いずれ世界はこうなると思っていました」

 

「スカパー!」から本社に戻っていたが、31歳のとき、住友商事を退社する。上から言われたことしかできない環境に、物足りなさを感じていた。

 

「イエスマンにはなりたくなかった。でも、飛び出して初めて、『住商』の看板の大きさがよくわかりました」

 

 その後の畠山さんは、ベンチャー企業の役員を経て、音楽やイベントの企画制作会社を起業するなど、事業を展開してきた。だがどちらの会社も、M&Aで売却。やりたいことができたら、忠実にその意志に従ってきた。

 

「ひとつのことをずっとやる人と、いくつかやってみる人がいる。僕は後者です。自分で会社を大きくしようと思う人は、他社を買って大きくしたりする。僕はある程度うまくいったら、売却してきました。

 

 もちろん、社員の給料を上げてくれる企業に売りました。2017年に制作会社を手放した後、ビジネスの師であるオークローンマーケティングの創業者・中村規脩氏と、別の会社を起業しました」

 

 畠山さんは、2年半前にコーヒー関連ビジネスを始めた。コロンビアの農家から生豆を輸入して、日本で加工。そのコーヒーを飲めるのが、東京・南青山の「lohas beans coffee」だ。いつも女性客で賑わっている。

 

 飲食店事業を手がける一方、2019年になって、化粧品会社のジャパンゲートウェイを買収した。シャンプーなどを国内で販売するほか、16カ国に輸出している。

 

 畠山さんは携帯中毒を自認する。3分に一度は画面を見る。

 

「経営者は皆、寝ている間以外は商売になるものがないか、考えるものです」

 

 故郷での起業も頭にある。経営者はタフでなければ勤まらない。


(週刊FLASH 2019年7月16日号)

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