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名経営者は「焼け跡」で何をしたのか/ダイエー

ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2019.08.20 06:00 最終更新日:2019.08.20 06:00

名経営者は「焼け跡」で何をしたのか/ダイエー

ダイエー1号店

 

 スーパーのダイエーは、戦後の高度成長とともに急成長したシンボルだった。

 

「人の幸せとは、まず物質的な豊かさを満たすことです」

 

 創業者の中内功の哲学は、自らの戦争体験に基づいている。

 


 1943年、21歳で出征。朝鮮や満州を経てフィリピンへ転戦すると、中内のいた部隊は532名中、389名の戦死者を出し、戦死率は73%にも達した。この戦場での飢餓体験が独特の中内哲学を生んだといわれる。

 

 ヒル、ネズミ、トカゲ、ミミズ……食える物はすべて口にする戦場での生活。戦友が死ぬと靴を脱がし、自分の靴と取り替える。自分の靴は水洗いして小さく刻んで飯ごうで煮て食べたと自ら語っている。

 

「中内さんの歯は若いうちから総入れ歯だったそうですが、硬い軍靴を噛みつづけたことで歯が駄目になったということです」(経営評論家)

 

 1945年11月、フィリピンから復員すると、実家の薬局などを経て1957年9月に大阪・旭区の京阪本線千林駅前に「ダイエー薬局・主婦の店」を開店。これがダイエーの1号店となった。

 

 徹底した安売りで客が客を呼び、閉店したときには歯ブラシ3本しか残っていなかったというエピソードもある。

 

「流通革命」を掲げながらひたすら「安さ」を追求して快進撃を続け、店舗数も順調に増え、初年度3100万円だった売り上げは6年後に119億円に膨張した。

 

 1972年には百貨店の三越を抜き、小売業売上高トップになった。1980年2月には日本の小売業界初の売上高1兆円を達成している。ダイエーは、「安くて高品質」という強い思いで成功を築いたのだった。

 

※「功」の漢字は「功」でなく、正確には「工偏に刀」です。

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