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夏目漱石も苦労…糖尿病なのに「お菓子がやめられない!」

ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2019.12.09 16:00 最終更新日:2019.12.09 16:00

夏目漱石も苦労…糖尿病なのに「お菓子がやめられない!」

 

 夏目漱石は正岡子規と同年生まれで、学生時代に出会い、子規から俳句を学んでいます。漱石という号も子規が提示したものです。そういうわけで漱石は俳句を作りました。短歌も少々。

 

 そして明治の教養人らしく漢詩も作れば、英文学者らしく新体詩も作っています。ただし小説ほどはうまくありませんでした。それでも人柄はよく出ていて、それなりに面白いものがあります。

 

 

・元日や歌を詠むべき顔ならず 胃弱の腹に三椀の餅

 

・じと鳴りて羊の肉の煙る門 ダンテに似たる屑買が来る

 

 これは明治38年1月5日付、井上微笑宛書簡に記された短歌(狂歌?)です。

 

 漱石は子規と同じくらいの大食いで、特に甘いものが好きでした。胃病になった原因を、若い時からの大食いのせいだと考えていたくらいです。

 

 実際、修善寺の大患の直接の引き金となったのは、宿で一人になって妻の監視が無くなり、羽目を外して食べすぎたせいでした。

 

 糖尿病も発症したため、晩年には食餌療法を受けて食べ物を制限されましたが、好きな菓子類をやめられず、鏡子夫人はお菓子を隠すのに苦労したといいます。
 

 夏目家は子どもが多かったので、家に菓子類を全く置かないというわけにはいかず、漱石は家で原稿を書いているので、隠しても隠しても必ず見つけ出して勝手に食べてしまうという、なかなか困った性格でした。

 

 南京豆が大好きで、砂糖のついた南京豆を一袋買ってきて、机の脇に置いて一人でぼりぼり食べたりもしていました。

 

 漱石が亡くなる直接のきっかけとなったのも食べすぎでした。精養軒で催された辰野隆の結婚披露宴に招かれた際、妻と席が離れていたのをいいことに料理を堪能してしまったのです。

 

 その日は何事もなかったのですが翌日に腹が痛くなり、昼間は絶食しました。それでも夜になると「何か食べたい」と言い出し、鏡子夫人がトーストを3枚用意すると「お前はずるい、こんなに薄くちゃいやだ」と駄々をこねて、もっと食べたがりました。

 

「いけません」「なあに、死にやしない」とやり取りしながらトーストを食べましたが、間もなく吐いてしまい、そのまま病床に就いたのでした。

 

 その後の衰弱はひどく、妻は医師と相談して、薬やアイスクリームや果物の汁などを、匙で口に運びました。カンフルも打たれ、中村是公や高浜虚子らが枕頭に詰めます。妻もいよいよ最期と覚悟してか、見舞い客との面談を許したのです。

 

 戦前は男社会でしたが、それだけに学生時代からの無二の親友といった存在がいる場合、その絆は実の兄弟よりも強いくらい(自分の意志で選んだ義兄弟のようなものですから)で、片方が亡くなると生き残った方が親友の遺族のことをあれこれ世話するのはよくあることでした。

 

 漱石の死後、中村是公は資産の運用や子どもの教育にも口を挟みます。善かれと思ってですが、鏡子夫人はある程度は是公を頼って彼に相談し、また時には反対を押し切って、大胆な株の運用などをして儲けたりしました。

 

 

 以上、長山靖生氏の新刊『恥ずかしながら、詩歌が好きです 近現代詩を味わい、学ぶ』(光文社新書)をもとに再構成しました。近現代詩歌を時代順に引きながら、喜びや悲しみを、詩人たちの実人生と共に味わいます。

 

●『恥ずかしながら、詩歌が好きです』詳細はこちら
https://honsuki.jp/stand/24799.html

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