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江戸時代の将軍様は寝床でも女と2人きりになれずトホホ
夜バナFLASH編集部
記事投稿日:2016.04.24 19:30 最終更新日:2016.10.12 13:19
将軍は基本的に、将軍や正室の身の回りの世話をする「御中臈(おちゅうろう)」から夜のお相手を選ぶ。その下の役職の女中を見初めた場合、その者は「御中臈」に取り立てられた。
また、歴代将軍の命日には、SEXを慎まなければならなかった。江戸後期ともなれば月命日だらけとなり、したくても我慢しなければならない日がやたらと多かったのだ。
さらに、寝所で2人きりになれない監視システムと報告義務……将軍のSEXは異様なほどの“情報開示”を求められていた。これは、5代将軍・綱吉の相手をした女性のおねだりが過ぎたことから、制度化したものといわれている。
そんな状態でのSEXはどのようにおこなわれていたのだろうか。『女訓抄』の一節、「閨(ねや)の御慎(おんつつし)みの事こと」は、島津家の姫が紀伊家に嫁ぐ際、乳母がそっと手渡したという、いかに性生活を過ごすべきかを説いた“SEXの教科書”だ。
「御色気の薄いのは情けがなく、情けがなければ夫婦の仲は睦まじくいきません」
「佳境には、殿御(とのご)よりも先か同時に入りましょう。殿御が先にイってしまった場合は、もっとしたくても耐え、やめておくことです」
など、品位のある振舞いを説いている。13代将軍・家定に嫁いだ篤姫は島津家出身。彼女にもこの指南が伝わり、家定との閨に生かされたのかもしれない。
上・中・下巻からなる『秘事作法』は、江戸初期の1652年に成立した微に入り細を穿つ性の奥義書である。筆者は岡山藩の池田家奥御殿に仕えた女中の秀麗尼 。殿のお手付きとなったものの、子をなさず出家し剃髪したと推測されている。
その上巻では、若君へ奉仕すべきSEX秘儀が懇切丁寧に述べられている。
将軍は、学問や武芸だけでなく帝王学の一環として、女中たちから性の手ほどきを受けていた。若君は5歳で割礼し、7歳になるとペニスの皮を剥く。早くから亀頭部を露出させ、刺激になれさせるためだ。
10歳になると性教育が始まる。教師を務めるのは乳母だ。乳母は御目見以下(おめみえいか=将軍や御台所と対面できない身分)の御家人の妻や娘が召し抱えられた。
筆おろしを果たすと乳母の性教育から卒業し、名実ともに立派な大人となった若君は正室や側室を迎えることになる。『秘事作法』では「殿が射精していいのは奥方だけだということを忘れてはいけない」と乳母に強く戒めている。
しかし、初の射精で子供ができてしまったときは、それはそれで大事に育てられることになる。
また、「殿がEDとなったときは女中が数人がかりで勃起するよう努力しなければいけない。女中の精水(愛液)や唾液などの体液は滋養になるので殿に吸ってもらう」とも説く。
将軍をはじめ、正室や側室の手を煩わすことなくお世継ぎをもうけてもらうため、女中は滅私奉公に努めるのだ。
(FLASH+ 2015年12月5日増刊)