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女子アナ宮崎宣子の「ドツボ脱出」転職は「せーの!」で!
芸能・女子アナFLASH編集部
記事投稿日:2020.06.20 16:00 最終更新日:2020.06.24 23:42
【宮崎さん、助けて!】
転職を考えていますが、なかなか勇気がでません。宮崎さんは、日テレという給料がいい会社にいたのに、フリーアナウンサーになるのは怖くなかったですか?
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【お答えしましょう】
怖いに決まってるじゃないですか(笑)。
私は、公務員の父親と専業主婦の母親に育てられました。母の願いは、地元・宮崎で大学へ行き、宮崎で学校の先生になり、そして、学校の先生同士で結婚して、実家の近くに家を建て、孫の面倒を見ながら老後を過ごすことだったんです。
が、人生はそうは上手くいきません。
大学は東京へ行くし、東京で就職するし、しかも民間企業のアナウンサーだし、母からすると国家公務員が最高の就職先だと思っていましたから、、、そんななかで、私は思うように育たない、親の言うことは一切聞かないということがわかり、ついにあきらめたそうです。
そして、私はというと、入社したときには、一生、日テレにしがみつき、あわよくばシニア契約までしてもらって
70歳まで日テレにいて、その後は悠々自適な年金生活を送ろうと思っておりました。
ところがどっこい(古いですね。歳がバレる)・・・。
私は、入社前にアナウンサーとしてやりたい目標を決めていました。
それは、箱根駅伝を担当するとか、ナレーションをやる、レギュラー番組を持つとか、、、7つほど掲げていました。
そして、それに向かって必死に頑張りました。ふと気づくと、ある日、その夢がすべて叶っていたことに気づきました。
レギュラーも持てたし、全国放送の番組も担当し、やりたかったこと以上にやらせてもらいました。
そのときに、いざ、じゃー今後何がやりたいか、30代、どんなアナウンサーになりたいかを想像しても、日テレで自分が働いている姿を想像できませんでした。
そうなると、どうなるか・・・体調を壊し、私は2度も番組を降板することになったのです。
そのときに、自然とサインを読み取ることができました。日テレにはもう居場所がないと。
超安定思考だった私は、結婚と、大手事務所への所属という2つの後ろ盾をもらって、やっとの思いで日テレを去ることができました。日テレはいい会社です、やめなくてもいいのにと何度も自問自答しましたが、そのままいても、自分はもう成長できない気がしました。
そして、いざ守りに守ってフリーになりましたが、今はどうでしょう。
5年前に離婚し、大手事務所もやめて個人事務所を設立し、まったくのフリー、完全フリーになりました。
そんな自分が今どうかというと、、、これが意外と幸せなのです。元旦那さんも素晴らしい方でしたし、事務所の皆さんもとてもよくしてくださいました。
ですが、私は、本当にフリーが好きなんだと思いました。自分にはどこかに所属する、誰かに頼って生きていくより、自分で自分の人生に責任を持つというか、、、そんなかっこいいことではありませんが、簡単に言うと群れられないんですね(笑)。
そういえば、小学校のときに一人でトイレに行っていじめられたことがありました。
転職しても、何をしても、どうなるかなんてわからない。ただ、いろいろやってみて試行錯誤しているうちに、何かが見えてくる。何かに出会えるチャンスが来るのかもしれません。
私もここから先、どうなるかなんてまったくわかりませんが、先がわからないから楽しいのかな、、、なんて思ったりもします。
公務員の予定が、まったくのフリーアナウンサー。しかもハーブ関連の事業まで始めちゃって。人生なにが起きるかわかりませんが、転職は「せーの!」かもしれませんよ。
そして、その先、また「せーの!」で、他の道を選ぶことも可能です。安定もなく、頼る人もなく、もう40歳!
私よりも質問者の方のほうが転職のハードルは低い気がします(笑)。一緒にまだ見ぬ明日を楽しみに生きましょう!
●宮崎宣子(みやざきのぶこ)
宮崎県宮崎市出身。早稲田大学卒業後、日本テレビアナウンサー。現在はフリーアナとして活動しつつ、実業家としてオーガニックハーブ販売中
※宮崎アナへの人生相談はインスタグラム@miyazaki_nobukoで募集しています