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志村けんさん「家では味噌汁も手作り」人を愛し、独り身も愛した
芸能・女子アナFLASH編集部
記事投稿日:2020.07.18 06:00 最終更新日:2020.07.18 06:00
志村けんさん(享年70)が逝ってから、7月7日で100日。あらためて、「喜劇王」の偉大さに感じ入っている人は多い。女優の川上麻衣子(54)は、「ひとりの時間をとても大切にしている人だった」と振り返る。
「飲んでいる席で師匠がよく言っていたのは、『彼女や奥さんがいたとしても、自宅では誰にもさわらせない、入らせない部屋が必要だ』ということでした。
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夫婦になっても玄関は別。できれば別の部屋で、お互いに信号をつけて、青信号のときに会うのが理想だ、と。『それは違う!』と、だいぶ言い合ったんですが、師匠のなかでは、そういう一線を引きたいと思っていたようです」
モト冬樹(69)も、独特の “理想の相手” について聞いていた。
「結婚願望は、あったのよ。だから『どんなタイプが好きなの?』って聞いたら『年は若いけど、精神的には40代ぐらいの』って。いねーよ(笑)」
以前は、志村さんが気を許す飲み仲間も少なかったと、川上麻衣子は話す。
「師匠が45歳くらいのころは、可愛かずみちゃんと3人で飲むことが多かったですね。みんな独身で、しかも全員が恋人とうまくいっていなかった(笑)。みんなで文句を言いながら、誰かしらの家に行ったり、カラオケに行ったりして、朝まで。本当に、コアなメンバーという感じでしたね」
20代のころ、「志村さんとしょっちゅう飲みに行っていた」という片岡鶴太郎は、思わぬ出会いを生んでいた。
「僕がボクシング始めちゃったでしょ。あれで、ダチョウ倶楽部とかとも、飲む機会がなくなって……。だから、彼らを志村さんに紹介したんです」
志村さんと「竜ちゃん」ことダチョウ倶楽部・上島竜兵のあいだに、“師弟” のような交友関係ができた瞬間だった。そんな1対1の関係を深める一方で、毎年の「誕生日会」などでは、続々と人が集まってきてしまうことに、志村さんの「人のよさ」が表われていた。
「古くからの方・新しい方・芸能人・一般人と、いろんな方が来るんですが、志村さんはどんな人でも、ゲストが帰るときに『ありがとうございました』と頭を下げるんです」
そう話すのは、タレントのはるな愛(47)。はるなの経営する飲食店で、よく誕生日会が開かれていたのだ。
人に好かれ、人との「縁」も大事にしていた志村さん。所有競走馬のほとんどを生産した碧雲牧場の元代表・長谷川敏氏は、料理屋のカウンターでの出会いを述懐する。
「僕がママに、『今度、仲間2人と牧場を作るんだ』という話をしていたんです。すると、『自分もひと口乗せてくれないか』と言ってきたのが、志村さんでした。最終的には馬主になって、うちから馬を買いたいと。
買っていただいたうち一頭は、『ミツノアジ』号。志村さんらしい名前で。馬は、一勝もできなかったんです。でも、愚痴・ぼやき・嫌味は、いっさい言わない。それどころか、『いい馬生まれました?』と、電話をかけてくれる人でした」
はるな愛は、素朴な人間像も明かしてくれた。
「よく行く鉄板焼き屋さんにご一緒したときに、『明日の夜に食べるから、残りもの包んでいただけますか?』って。
そんなふうに持って帰るんだ、と思って、私がふと『朝ご飯とか、どうしているんですか?』って聞いたら、『独り者だから自分で作るに決まってるだろ。味噌汁も作るし、全部自分で作るよ』って。意外でした」
東京・門前仲町のもんじゃ店「三久」には、その名も「しむけんもんじゃ」がある。店主が、メニューの由来を明かす。
「冗談半分で、『メニューを作っていただけませんか?』とお願いしたら、快く引き受けてくれました。
以前、居酒屋で働いた経験があるらしく、『もとからある材料でないとダメだよな、新しく買ってロスが出るともったいないもんなぁ』と考えて提案していただき、お豆腐・ニラ・豚肉・山椒と、豆板醤を入れたメニューができました。
それで、『これを “しむけんもんじゃ” と名づけていいですか』と聞くと、『ああ、いいよ。その代わり1個売れたら10円くれよな』と笑ってくれました。でも本人は、『こっぱずかしくて』と、1回くらいしか食べてないんです」
志村さんには、「人のために」の意識が、つねにあったのかもしれない。自身を死に追いやった新型コロナウイルスの流行でも、まず最初に考えたのは “行きつけ” のことだったと、ある飲食店経営者が明かす。
「2月の段階では、そこまでコロナが騒がれていなかったから、『経済を回そう』じゃないですけど、銀座や麻布十番によく行っていたみたいです。僕も、行きつけの店で一緒になりました。でも、3月に入ってからは気を遣って、ほとんど来てなかったんです」
入院したのは3月20日。その後、志村さんの顔をもう一度見ることはかなわなかった。小中学校の同級生の角田英光さんは、「3年前の正月、ふらりと会いに来てくれた」と遠い目をした。
「志村がうちに来たとき、私は銭湯に行ってたんですよ。そしたら私の妻と一緒に、わざわざ銭湯まで迎えに来てくれました。その後、2人で私の自宅でじっくりと飲みましたが、あれが最後でしたね……」
盟友・研ナオコ(67)は言う。
「照れくさそうに笑っているけんちゃんの顔は、すぐに思い浮かびますし、あの笑顔は一生忘れないと思います。寂しく思うことは悲しいことなので、寂しさは感じないかなぁ」
(週刊FLASH 2020年7月28日・8月4日号)