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女子アナ宮崎宣子の「ドツボ脱出」日テレ入社試験の顛末
芸能・女子アナFLASH編集部
記事投稿日:2020.09.26 16:00 最終更新日:2020.09.26 16:00
【宮崎さん、助けて!】
今年就職試験があるんですが、いつも大事な面接では緊張して失敗してしまうのです。宮崎さんは、アナウンサー試験をどのようにして通ったのですか?
【お答えしましょう】
懐かしーーーーーーー。就職試験。もう何年前の話でしょう。え? 20年じゃないですか??? うわ~、子供が成人しているじゃないですか? 月日の流れるのは早いですね~~~。
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あの日の試験は、綱渡りでした。日テレは秋のセミナーを受けていたので、1次試験は免除でした。
ここだけの話、私の希望は、フジテレビとTBSでした。なぜなら・・・実家・宮崎ではこの2局しかほぼ映らないのです。そして、いまだに民放2局。悲しい。。。
でも、フジテレビは1次で不合格。TBSも3次試験で落ちていて、日テレの4次試験を受けるときには、もうキー局は日テレしか残っておらず、テレビ東京、NHKの試験が始まろうとしていました。
1次は、免除
2次は、カメラテスト
3次は、原稿読み
4次は、筆記試験と健康診断
3次までは流れ作業のように大人数で試験を受けており、どちらかというと、まだ何十人も残っていて、ワイワイしながら受けました。
4次からは、ぐっと減ったのを感じましたが、まだ50人くらいはいたような記憶が。その4次試験を受ける前日、大好きなフジテレビから不合格の連絡を受けていました。
今はどうか知りませんが、当時は、テレビ朝日が試験スタートが早く、ついで日テレ、TBSがその1週間後、最後にフジテレビが始まったときには、日テレは3次試験まで終わっていました。
フジテレビに落ちた私は、あまりのショックに、父親に泣きなが電話しました。すると、「お前はアナウンサーになりたいんだろう? 別にフジテレビのアナウンサーになりたくて頑張ってきたわけじゃないんだから、全国どこでも受けて、最終的にどの県でもいいからアナウンサーになれたらいいんじゃないか」という言葉をもらいました。
確かに、宮崎出身の田舎なまりの抜けない私が、キー局なんて受かるはずがない。ここまでこれただけで大儲け! しかも日テレでもらえるお弁当は、今まで食べた弁当のなかで一番美味しい。この弁当をどこまで食べられるか頑張ろうと、弁当ありきの受験になっていました。
4次の筆記試験では、たまたま専門学校で勉強していたマスコミ漢字が出ましたが、そのあとの英語、理科、物理はまったく自信なし。さらに、健康診断で採血できず(血管が細いので)。困って別室で採血したら気分が悪くなり、そのまま安静にして、みなさんと遅れて合流する始末。
もらったお弁当は焼肉弁当だったかと思いますが、あまりにも美味しくて、感動して、「最後の豪華弁当だー!」と、残っていたお菓子までお土産に持って帰りました。
もう、さすがに日テレは落ちたと思い、そのとき同じように試験を受けている仲間と、憂さ晴らしにカラオケに行きました。ガンガン歌って、跳ねて、「明日からまた就職試験を頑張ろう!」と思って、カラオケを出たのが、22時30分過ぎ・・・。
携帯を見たら着信が20件入っていて、誰だろうと思って留守電を聞くと、、、
「日本テレビ人事部です。折り返しご連絡ください」
「宮崎さんの携帯ですか? 日本テレビ人事部です。携帯に10時までに連絡するとお伝えしていたと思うのですが、折り返し連絡してください」
と5件ほど入っていて、、、恐る恐る折り返すと、
「何してたの? 夜10時までに連絡すると言っていたでしょ?」
「すみません。。。落ちたと思ってカラオケで気分転換していました」
「明日も試験するから。スーツでなく、普段着で大丈夫なので来なさい」
「はい、わかりました!」
実は、友人宅に泊まるつもりで来ており、普段着って言ってたからこのままでいいやとそのまま泊まりました。
正直、5次に進んだとはいえ、「どうせここまで!」と思っていたので、また豪華弁当が食べられて嬉しい! くらいの感じでした。いま思うと、このときの「もうどうせ受からないだろう」という脱力感のおかげで、緊張せずにいられたのかもしれません。
5次試験。
その日の私は、ジーンズにパーカー(しかも友人に借りたやつ)に赤のコンバースのスニーカーで日テレ本社に出向きました。
大学に行くときの普段着と言われていたのにもかかわらず、ジーンズは私だけ、パーカーも私だけ。汚れた赤のコンバースなんて論外。みんな、アンサンブルニットとか、カーディガンとか、本当にオシャレな装いでした。
え? みんなこんなオシャレして大学通っているの? と思いましたが、早稲田の女子なんて「ワセジョ」と言われ、そんな綺麗な格好している人なんてそんなにいませんでしたよ???
案の定ではありますが、「こりゃ完璧、落ちた」と確信。だったら、人生最後の日テレを楽しんで帰ろうと腹をくくりました。
人事部の方がみんな集まっているところに来て、「今日が最終面談になります」と言うと、みんな「えーーーー!」っという反応でしたが、私はどちみち今日が最後だと思っているので、「そうなんだ~」ぐらいでした。
試験はエチュードというのがあって、
◯2列に並んで、お互いにどんな人かを説明しなさい
◯全員で円になって走りなさい
◯モデル風に走りなさい
◯いけ好かない女風に歩きなさい
◯マットにでんぐり返しして、一言言いなさい
◯1人ずつ、原稿を読みなさい(噛みました)
◯スタジオの真ん中に1人立たされ、スポットライトが当たるなか、何か単語を言われ、それを客観的と主観的に答えてオチをつけなさい
・・・とか何だか楽しい試験でした。
そして、最後の最後の試験が、全員一列に並び、1人ずつ四文字熟語を言われ、その意味とそれを使ったエピソードを言いなさい、というものでした。
そのとき隣にいたのが、フジテレビに残っていた中野美奈子ちゃんでした。美奈子ちゃんは「一期一会」と言われましたが、なぜか答えられず。当時から美奈子ちゃんはミス慶応で、ずば抜けて可愛く、ワセジョの私とは洋服の差も、見た目の差も歴然としていました。
なので、美奈子ちゃんは絶対受かる人だと思っていたので、「こんなところで答えないのはもったいない」と思い、咄嗟に小さな声で、「人と人との出会い」とつぶやきました。
美奈子ちゃんは、それをそのまま答えたのでホッとしたのですが、最後に「これは宮崎さんが教えてくれました」と言ったのです。 えー? 言わなくていいのに、なんと正直な人なんだと思いました。
その後、全員が集められ、「この後1人ずつ呼びますので、ここでサンドイッチを食べて待っていてください」と、軽食が出されました。
これが最後の日テレと思っていた私ですから、誰も手をつけないサンドイッチをすぐに食べ(これまた大学で食べたサンドイッチとは比べ物にならないくらい美味しさ)、さらにみんなの残ったサンドイッチもカバンに詰め、お菓子も持って帰っていいと言われたので、置いてあった高そうなオシャレお菓子もカバンに入れて、最終の面談を待ちました。
正直疲れていたので、早く帰って残りのサンドイッチを食べたいと思っていたのを覚えています。
「宮崎さん、入ってください」
初めて1人になった瞬間でした。人事部長が入ってきて、「宮崎さん、内定出せます」と言われました。
「え?????」
そのまま会食となり、同じく受かった同期が他の別室で待っていました。受からなかった人は下に集まっていたようなので、誰が受かったかはすぐにわかったそうです。
その後、人事部の方とまた高そうな鉄板焼きを食べに行ったことは覚えていますが、それ以外のことはまったく覚えていません。
会食に行く前に、「ちょっとトイレ行ってきます」と言って、こっそり母に電話しました。
「日テレ受かったよ」
「よかったね! 本当によかった!」
そんな会話をしたのを覚えています。
あれから20年。きっとあのとき、私でなくて中野美奈子ちゃんを採ればよかったと、どれほど深く後悔しているだろう日テレの皆様、本当にすみません。
今だから思うのは、中野美奈子ちゃんのおかげで私は日テレに入れたのではないかと・・・。
本気で初めから日テレに受かりたいと思っていたら、私はあのとき、美奈子ちゃんに四文字熟語の答えを教えていなかったかもしれません。
あのとき私は日テレに受かるつもりはなく、美奈子ちゃんはきっと受かる人だと思っていたから、無意識に、、、美奈子ちゃん、今さらながらありがとう(笑)。
●宮崎宣子(みやざきのぶこ)
宮崎県宮崎市出身。早稲田大学卒業後、日本テレビアナウンサー。現在はフリーアナとして活動しつつ、実業家としてオーガニックハーブ販売中
※宮崎アナへの人生相談はインスタグラム@miyazaki_nobukoで募集しています