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女子アナ日下千帆の「美女は友達」テレビ通販で年商10億円を実現させた社長
芸能・女子アナFLASH編集部
記事投稿日:2020.12.03 16:00 最終更新日:2020.12.03 16:00
女性のキャリアは多種多様。『美女は友達』は、人生を謳歌する女性たちのキャリアインタビューです。
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エネルギーがあふれる方は、いくつになっても若々しい。宮坂由見さんは、1947年生まれの73才。見た目も、お話した感じもパワフルでポジティブ、とても70代には見えません。
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今回は、会社員から年商10億円の会社経営にステージを駆け上った宮坂さんのサクセスストーリーをご紹介いたします。現在、キャリアチェンジや、新たなビジネスへ挑戦をお考えの方にヒントとなるかもしれません。
1968年にデザイン専門学校を卒業した宮坂さんは、お父様から「デザインでは食べていけない。一般企業に行けば結婚相手も見つかる」とアドバイスされ、ソニーに入社。大流行したウォークマンの広報を担当していたそうです。
お母様からは「女は自立すべき」と教えられていたため、社内結婚で寿退社した後も、「専業主婦では物足りない。何かしら仕事をしていこう」と考えていました。
1978年、開店資金確保のために生命保険を解約し、生地を売って洋裁を教えるお店「アトリエもめん」をオープンします。なぜ洋服を売る店にしなかったのかというと、売れ残りの服はどうにもなりませんが、生地であれば、バッグやテーブルクロスなど、別の商品として販売できるからです。
「宣伝ツールは私自身と娘でした。おそろいの服で幼稚園に行くと、『かわいい。私も作りたい』とファンが増え、お店は繁盛していきました。さらに、お客さまの投稿で雑誌に取り上げられたのをきっかけに、全国からお客さまが来るようになりました」
この小さな洋裁教室が、宮坂さんにとって1つ目の成功体験となりました。
その後も、日用品販売などをしていましたが、億を超える売り上げが出せるようになったのは、化粧品販売を始めてからでした。
あるとき、友人から「ビジネスを始めるからFAXを貸してほしい」と頼まれ、番号を教えたところ、届いたFAXの送信者とやり取りが始まりました。その送信者と宮坂さんは、偶然、同じ日にラスベガスに出発することがわかりました。しかも、同じ飛行機で座席も前後、ホテルも同じだったのです。運命の出会いのようですね。
この男性は、現在、通販番組で活躍されているベガス味岡さんという方だそうです。味岡さんから、輸入化粧品の代理店をやらないかと誘われ、言われるがままに始めたのですが、2週間で発売元が降りてしまい、宮坂さんが急遽、発売元になることに。
「横浜に商品が着いたら、すぐにお金を払ってくださいと言われ、周囲は詐欺じゃないかと心配していました。事務所は化粧品で埋まってしまい、これをどうやって売ろうか思案していました」
2000年、まだ日本ではそれほど認知されていなかったテレビ通販専門チャンネルで、自ら出演し販売してみたものの、最初はなかなか手ごたえを感じることができません。
たまたま宮坂さんが生放送に出演できず、味岡さんがピンチヒッターを務めるときがありました。男性がパックを売るのは気恥ずかしかったため、オープニングから顔に真っ白なパックを塗って出たところ、視聴者受けがよく、1時間に1200万円を売り上げました。
ここから業績は右肩上がり。ようやく軌道に乗ってきたと思ったのですが、今度は輸入元が「自分たちで売りたい」と言ってきたため、突然、契約が終了してしまいました。
「そのときはショックでしたが、友人からは『いいときにやめたよ』と言われました。そして、ラッキーなことに、次に扱った商品『コロコロ歯ブラシ』がべストセラーとなり、2年間売れ続けました」
しかし、そのメーカーが突然の倒産。ここでタッグを組んできた味岡さんも独立されます。
2005年、ルーマニアから輸入した新たな化粧品をテレビ通販で売ってみたところ、実に90分で1億5000万円を売りあげました。テレビ通販番組を中継するため、恵比寿にエステサロンもオープンし、ビジネスは絶好調のように見えました。
ところが、2011年のある秋の昼下がり、黒服の4人組がオフィスを訪れ、突然、「そのまま!」と叫んだのです。税務署の職員でした。過去7年分に遡り、事業税と合わせて1億円の追徴課税を言い渡されました。
会社の口座のみならず、個人の口座まですべてロックされ、お金を動かせない状態にされてしまいました。手元の運転資金が底をつきそうになりますが、人並み外れた精神力をお持ちの宮坂さんは、この逆境を1年で克服したのです。
「しっかり納税していると思っていたので、ショックでした。しかし、この事態を乗り越えられたのは、当時の化粧品販売ビジネスが私の身の丈に合っていたからです。
もし多額の借金をして、身の丈以上の取引をしていたら、間違いなく会社を畳んで、周囲に迷惑をかけていたことでしょう。一歩一歩階段を上り、背伸びしていなかったから、この災難を解決できたのです」
化粧品販売はいまも順調ですが、宮坂さんは新たなプロジェクトに挑戦しはじめました。冒頭の2ショット写真にあるような、着物の生地を使った洋服やバッグのブランドを立ち上げたのです。現在、ギャラリーを開く場所をお探しだそうです。
たびたび訪れる難題にも挫けることなく挑み続け、いくつになっても新しいことを始めることが、若さとパワーを保つ秘訣なのかも知れませんね。
●日下千帆(くさかちほ)
1968年、東京都生まれ。1991年、テレビ朝日に入社。アナウンサーとして『ANNニュース』『OH!エルくらぶ』『邦子がタッチ』など報道からバラエティまで全ジャンルの番組を担当。1997年退社し、フリーアナウンサーのほか、企業・大学の研修講師として活躍。東京タクシーセンターで外国人旅客英語接遇研修を担当するほか、supercareer.jpで個人向け講座も