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元テレ朝アナ、再雇用を断って「模型人生」を歩む…定年後の新キャリアのつくり方/女子アナ日下千帆の「私にだけ聞かせて」

芸能・女子アナFLASH編集部
記事投稿日:2023.07.02 16:00 最終更新日:2023.09.02 23:10

元テレ朝アナ、再雇用を断って「模型人生」を歩む…定年後の新キャリアのつくり方/女子アナ日下千帆の「私にだけ聞かせて」

松井アナ(左)と日下アナ

 

「好きなことを仕事に」というのは、昔から言われているスローガンですが、最近になってようやく定着してきたようです。定年を迎えてからも長く働くようになったいま、セカンドキャリアで夢を実現する方が増えてきました。

 

 今回ご紹介するのは、定年を機にプラモデルメーカー・株式会社タミヤと模型に関わる今後の活動について話し合いを進めている、元テレビ朝日アナウンサー、松井康真さんです。

 

 

 子供の頃からずっと大好きなプラモデルを作り続け、いまではニュース解説に自作のプラモデルが使われるほどの腕前となりました。富山県南砺市(旧井波町)出身。1986年、東京工業大学卒業後、全国朝日放送(現・テレビ朝日)に入社しました。

 

 アナウンス部在籍中は『ニュースステーション』『ミュージックステーション』『スーパーJチャンネル』などの番組でキャスターとして活躍。プロ野球実況でもおなじみです。

 

 2011年、社会部に異動。災害報道のリポートでは、右に出るものがいないと言われています。プライベートでは、2009年、石坂浩二さん主宰の模型サークル「ろうがんず」の発起人の1人となりました。今年3月末、テレビ朝日を定年退職し、個人事務所を設立。

 

――静岡にあるタミヤと、今後の活動について話し合いを進めているとうかがいました。松井さんとプラモデルには、どのような歴史があったのでしょう?

 

「小学3年生のとき、親戚のおじさんからプラモデルを買ってもらったのをきっかけに夢中になりました。当時、1つ100円だったのですが、財力のない子供には月に1つ買うのがやっとでした。

 

 自転車で何軒も回って、珍しいものを探したりしましたね。入選はしませんでしたが、6年生のときにはタミヤの『人形改造コンテスト』に応募したこともあります。卒業文集には、尊敬する人の欄にタミヤの社長と書いたのです。まさか将来、お会いできるなんて、あの頃は思ってもいませんでした。

 

 大学時代はオーケストラの活動が忙しく、しばらく模型から離れていたのですが、インターネットが普及してきた頃、ネットで模型を検索してみたのです。

 

 当時は充実したサイトが見あたらず、ないなら自分で作ってしまえと、1998年に『田宮模型歴史研究室』というサイトを独学で開設し、毎日更新していきました。10年で100万アクセスを超えましたよ」

 

――模型好きが高じて、書籍も出版されたんですね。

 

「はい。2000年、タミヤ公式ガイドブック『田宮模型全仕事』(文藝春秋)の解説を担当することになりました。タミヤ本社に残っていないモデルは、自分のコレクションを提供して載せています。おかげさまで、何度も重版するベストセラーになり、出版記念パーティが開かれました。

 

 さらに2008年、月刊誌で7年間連載を続けた内容を1冊の本にまとめた『タミヤの動く戦車プラモデル大全』(大日本絵画)では、すべての文章と掲載された模型の大半は私が担当しています。

 

 現在、模型のコレクションは、未使用の状態で3000個以上あり、実家の倉庫が一杯になっています。金額で言うと、もしかしたら小さな中古マンションが買えるくらい使ったかもしれません。なかには発売当時の価格の100倍の値がつくものもあります」

 

――テレビ朝日の報道番組でも松井さんの手作り模型が活躍していましたね。

 

「最初のきっかけは、1990年代、厚木基地にF14戦闘機の配備が決まり、騒音問題がニュースになったときです。番組が美術さんに模型を発注したのですが、これなら自分でも作れそうだと思ったのです。それから自前で材料を揃えて作るようになりました。

 

 その後は、福島第1原発や北朝鮮の万景峰号、長距離ミサイルのランチャーなど、図面を引いてゼロから作った模型を使ってニュース解説を続けました。

 

 これらの作品は、テレビ朝日の見学コースの美術コーナーにいまも展示されています。テレビ朝日からは、社長賞『第15回フリキリスト』をいただきました」

 

――テレビ朝日からは、災害報道担当として残ってほしいと引き留められたそうですが、再雇用をやめて独立することに迷いはなかったのですか?

 

「やりたいことがたくさんあったのです。模型に関わる仕事のほかに、生まれ育った南砺市井波エリア活性化のお手伝いもしたいんです。

 

 約200人の木彫り職人さんが毎日ノミを持ち、昔の日本が残っている風情ある街並みに加え、県外からやってきた若い人たちがパン工房や地ビール工房、こだわりのカフェなどを始めて、お洒落なエリアに進化しています。

 

 古民家を再生改築した宿で、名物の木彫りを体験できるツアーもあるんです。いま話題になり始めた井波を応援したいんです」

 

――アナウンサーとしての仕事も続けるんですね。

 

「番組出演やイベント司会、企業研修講師などもやっています。私のプレゼン上達講座は、厳しいかもしれませんが、必ず結果を出しますよ」

 

 組織を離れたからこそできることもたくさんあります。60歳からたくさんの夢を語れる人生は、現代キャリアの成功パターンではないでしょうか。

 

■好きなことを仕事にするための3カ条

 

(1)そもそも仕事にしようと思わない

 

 子供の頃から50年以上楽しんできたプラモデルが仕事になるとは夢にも思ってもいなかったし、そもそも仕事にするためにやってきたわけではない

 

(2)遊びなんだから真剣に

 

 石坂浩二さん主宰の模型サークルでは、展示会のテーマ決めと作品製作はいつも真剣。いざ決まれば、いかに来場者を喜ばせるかについて徹底的にこだわる。まさに「遊びなんだから真剣に」

 

(3)能動的に人と交流を

 

 仕事柄、初対面の方ともすぐに話せるため、横のつながりの活性剤の役割を果たし、気がついたら模型業界で信じられないほどのネットワークに。先日参加した「姫路城100人のトランペット」でも、初対面の方にどんどんコミュニケーションを取り、名だたるプロトランペッターの方々と一気に親密になりました

日下千帆

1968年、東京都生まれ。1991年、テレビ朝日に入社。アナウンサーとして『ANNニュース』『OH!エルくらぶ』『邦子がタッチ』など報道からバラエティまで全ジャンルの番組を担当。1997年退社し、フリーアナウンサーのほか、企業・大学の研修講師として活躍。東京タクシーセンターで外国人旅客英語接遇研修を担当するほか、supercareer.jpで個人向け講座も

( SmartFLASH )

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