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『トゥナイト』雪野智世アナ、街頭インタビューで学んだ観察眼を武器に研修講師に/女子アナ日下千帆の「私にだけ聞かせて」

芸能・女子アナ 投稿日:2023.12.24 16:00FLASH編集部

『トゥナイト』雪野智世アナ、街頭インタビューで学んだ観察眼を武器に研修講師に/女子アナ日下千帆の「私にだけ聞かせて」

雪野智世アナ(左)と日下アナ

 

 日本の夜の街が、今よりもっと華やかだった1980年代、ナイトレジャー情報を中心に紹介する男性に人気の番組がありました。

 

 作家の利根川裕さんをMCに、映画監督山本晋也さんやジュリアナ東京で踊る荒木師匠ら名物リポーターを多数輩出した『トゥナイト』(テレビ朝日系)という番組です。

 

 今回は、1988年からMCに加わり、番組に華を添えた雪野智世アナウンサーにお話を伺いました。

 

 

 雪野さんは、神奈川県横浜市出身。上智大学文学部新聞学科を卒業し、1986年にテレビ朝日入社。1995年からフリーに転向。現在は、司会業のかたわら、企業研修講師としても活躍されています。

 

――アナウンサーを目指したきっかけは何でしたか?

 

「高校2年のときに、バスのなかでTBSの三雲孝江さんを見かけたとき、すごくかわいくて素敵な方だと思ったことがきっかけです。それまでは、バレリーナを目指していました。

 

 その後、『おはよう7007』(TBS系)という朝の情報番組で、見城美枝子さんが、ペルー、アンデス、ブラジルと世界各国を取材しているのを見て、私もやってみたいと思うようになりました。

 

 大学2年生のときには、アナウンサーを受験すると決めて、スクールに通っていました」

 

――就職活動は順調でしたか?

 

「三雲さんや見城さんに憧れていたのに、その年、TBSは募集がありませんでした。テレビ朝日は春の第一次募集は駄目でしたが、秋にもう一度受けにおいでと言われて、10月におこなわれた二次募集で採用となりました。

 

 フジテレビは最終で落とされましたが、就活で仲よくなった岩瀬恵子アナは今でも親しくさせていただいていますし、阿部知代アナは大学時代のクラスメイトだったのですよ。

 

 その他にも、同期入社の各局のアナウンサーとは、就活を通じて仲よくなりました」

 

――アナウンサーになる夢が叶いましたが、実際、入社後のお仕事は想像どおりでしたか?

 

「厳しいし、上司も怖かったのですが、まあ、そういうものだと思っていました」

 

――最も印象に残っている番組は?

 

「やはり7年担当した『トゥナイト』です。毎日ロケに行くのですが、夜中の2時になっても翌日のネタが決まってないなんてことが、しょっちゅうありました。生放送が終わったあと、寝ないでそのままサンマ漁のロケに行くこともありました。

 

 ネタが決まってなくても、湘南や苗場に行けば何かがあるよと言われて、よく行かされました。嫌だったのは、毎年、お花見の時期になると青山墓地に行かされたことです(笑)。でも、『トゥナイト』の仕事はすべてが楽しかったですね」

 

――逆につらかったのは、どんな仕事でしたか?

 

「夕方のニュース番組で、人気映画ベスト10のような売れ筋情報のランキングコーナーを担当していたことがあるのですが、冬に街に出て5時間も立ちっぱなしで、コメントを集める仕事はきつかったですね。

 

 あるとき、村上春樹さんの『ノルウェイの森』を読んだ人の感想を集めるという回がありました。いいコメントが集まるまで帰れないのですが、街を歩いている人のなかで、誰が読んでいるのかを勘で探し当て、さらに「面白かった」などの単純な答えでは使えないので、番組で使えるコメントを出してくれる方を見つけるのは至難の業でした。

 

 この街頭インタビューを経験し、この人、絶対答えそうとか、聞いても無駄そうとかの人間観察力がつきました」

 

――現在は、保育園で研修講師もされているそうですね。

 

「はい。全国に約340カ所ある傘下の保育園で働く、保育士、栄養士、看護師の方々に、マナーや言葉使い、子供たちの成長を促す関わり方などをお教えしています。

 

 のちに受講生たちが、自治体などで講師として活躍しているのを見るとやり甲斐を感じます。これは私自身にとって大きな成長です。

 

 もともと他人のことには興味がなかったのですが、人が育っていく様子を見ると喜びを感じるようになりました。

 

 保育園では、映像制作の仕事も担当しています。撮影の立ち合いからディレクター業務をこなしています」

 

――この先の人生でやってみたいことはありますか?

 

「先日、還暦を迎えたのですが、もうやり残したことはないんですよ。海外旅行は35カ国も行ったし、美味しいものもたくさん食べてきました。

 

 いつ死んでもいいと思うくらいなのですが、息子がまだ15歳で、大学卒業までは生きていないといけないと思っています。子供の成長を見るのは楽しいですね。息子にこうなってほしいというのはなく、植物の成長を見るように観察しています。

 

 子育てが人生のなかでいちばん楽しかったと思います。日々勉強で、子供に育てられました。

 

 この先、やりたいことをあえて言うならば、バレリーナになる夢を断念したので、発表会で踊り続けたいです。25年のブランク経て、15年前からバレエレッスンに復帰しました。

 

 今も、当時習っていた牧阿佐美バレエ団、橘バレエ学校の仲間と踊っています。今後も大人バレエのお手伝いをしていきたいです」

 

■人生を悔なく生きるための3カ条

 

(1)他人の目は気にしない
(2)いつも明るく、元気に、幸せになると思い続ける
(3)やりたいことは全部やる

日下千帆

1968年、東京都生まれ。1991年、テレビ朝日に入社。アナウンサーとして『ANNニュース』『OH!エルくらぶ』『邦子がタッチ』など報道からバラエティまで全ジャンルの番組を担当。1997年退社し、フリーアナウンサーのほか、企業・大学の研修講師として活躍。東京タクシーセンターで外国人旅客英語接遇研修を担当するほか、supercareer.jpで個人向け講座も

( SmartFLASH )

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