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女子アナ日下千帆の「美女は友達」講演者養成コンサルタント

芸能・女子アナFLASH編集部
記事投稿日:2019.09.02 16:00 最終更新日:2019.09.02 19:43

女子アナ日下千帆の「美女は友達」講演者養成コンサルタント

日下アナ(左)と多久島さん(出雲大社東京分祠)

 

 今回は、憧れの仕事に次々とチャレンジしているユニークなキャリアをお持ちの美女、多久島志保乃さんをご紹介いたします。

 

 静岡県の自然豊かな環境で生まれ育ち、幼少の頃から飛行機雲や星空を見ることが好きだったという多久島さん。空への憧れからキャビンアテンダントになりたいと、はっきりした目標を定めたのは中学生のときでした。

 

 

 関西外国語大学短期大学を卒業後、全日空に入社。伊丹空港をベースに勤務することが決まり、19歳でその夢を叶えます。

 

 ところが、実際に勤務が始まると、思いのほか仕事をこなすことができず、すっかり自信をなくしてしまいました。

 

 同期は、大卒もいれば中途採用もいるという具合で、年齢も経験もさまざま。田舎育ちで短大を出たばかりの彼女は気後れし、ミスを連発。それでも何とか仕事が楽しいと思えるところまで5年頑張ってみましたが、結婚を機に退社してしまいます。

 

全日空時代

 

 その後、3年間のOLを経て、CA時代に得た知識をもとに大阪でビジネスマナー講師デビューを果たしました。しかし、好調な仕事とは裏腹に、結婚生活はうまくいかず、離婚して2人の娘さんを連れて上京。

 

 上京後は講演者のキャスティング会社に就職し、講演の営業の仕事を、男性と同じようにバリバリとこなしていきました。

 

「キャスティング営業の仕事を通じて、人気の講演内容や、指名の多い講師の特徴、またどの業界にどのような需要があるのか、マーケティング調査をしながら法則を学びました」

 

 ここで得た知識こそが、彼女に独立を決意させる貴重な財産となったのです。

 

 それまで、シングルマザーとして育児のプレッシャーを感じながら、毎日終電で帰る生活を続けてきましたが、身体は悲鳴をあげていました。健康診断で婦人科系のガンが発見されたのです。

 

 検査結果を知らせる担当医からの告知は意外な言葉でした。
「ガンが発見されたけど、君はラッキーだ。この病気では死なないよ」

 

 この言葉を信じたからなのか、その後の治療において奇跡的なラッキーが重なり、多久島さんはまたバリバリと働けるほどの健康を取り戻すことができました。

 

 そして、健康の大切さ、ありがたさを学んだ彼女は、ここで働き方を変える選択をしたのです。会社をやめ、フリーとして新たなキャリアの第一歩を踏み出しました。

 

 ちょうどそのタイミングで親戚から出雲大社で神道を学んでみないかと勧められ、講習会に参加。出雲大社教布教師の資格を取得されました。神職の方が身につける白い袴がとてもお似合いです。

 

 この日は六本木にある出雲大社東京分祠にて、出雲大社独特の2礼4拍手1礼の作法についてご説明いただきましたが、ピュアで透明感のあるお人柄に、ご一緒するこちらも浄化された気がしました。

 

 布教師の勉強は、日本古来の和の精神やおもてなしの心を学ぶためと考えているそうです。

 

「出雲大社といえば縁結び。キャスティング会社にいた経験を活かし、指名がとれる講演者を養成するコンサルタントとして、その人にしかない経験やキャリアを、それを必要としているところに届け、縁をつなぐお仕事をしていきたいです。

 

 組織頼みではなく、各々が自分の強みやキャリアを使って生きていけるような方法を伝えていきたい」

 

 金融庁は6月、人生100年時代を迎えるなかで、夫婦で2000万円の金融資産が不足するという試算を出しました。定年までに2000万円の資産を形成するのは難しいかもしれませんが、誰もが生涯現役を見据え、自らのキャリア形成を見直さなければならない時代になったのでしょう。

 

 多久島さん、大活躍の時代が来そうですよ。ぜひ私にも、お仕事のご縁をつないでくださいませ。

 

日下千帆(くさかちほ)
 1968年、東京都生まれ。1991年、テレビ朝日に入社し、編成局アナウンス部に在籍。アナウンサーとして『ANNニュース』『OH!エルくらぶ』『邦子がタッチ』など報道からバラエティまで全ジャンルの番組を担当。1997年退社し、フリーアナウンサーのほか、企業・大学の研修講師として活躍。2012年より、東京タクシーセンターで外国人旅客英語接遇研修を担当

 

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