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日本映画の歴史は「女優のヌード」で作られた Part2 1980年代

芸能・女子アナ 投稿日:2016.07.04 19:00FLASH編集部

日本映画の歴史は「女優のヌード」で作られた Part2 1980年代

写真:AFLO

 

 「日活ロマンポルノだけではなく、独立系の配給・製作会社、ATG(日本アート・シアター・ギルド)が硬派なインディペンデント映画を多数作り始め、その延長にある1980年代の日本映画界は自由でアナーキーな時代。『エロ』もその重要なエンジンでした」

 

 映画評論家の森直人氏はそう語る。後の大女優が「新人時代に脱ぐ」というパターンが多数誕生することに。  

 

 大ブームとなった「角川映画」のなかにも「お宝作品」は存在する。

 

「まず『スローなブギにしてくれ』。W浅野でブレイクする前の初々しい浅野温子のヌードが見られます」

 

 藤田敏八監督の『ダイアモンドは傷つかない』も時代を象徴する作品。

 

「田中美佐子がスクール水着を後ろ前に着て、おっぱいを出したまま走り回るシーンが衝撃でしたね。この体を張った演技で、田中は日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞しています」

 

 大御所監督もヌード映画前線に参戦。

 

「新藤兼人監督のような巨匠も樋口可南子(『北斎漫画』)や乙羽信子(『絞殺』)を。当時のヒットメーカー・五社英雄監督もかたせ梨乃(『極道の妻たち』)や名取裕子(『吉原炎上』)など、錚々たる一流の女優を次々にスクリーンで脱がせています」

 

 歌手の今井美樹も井筒和幸監督作品の映画『犬死にせしもの』に出演した際にヌードシーンを披露している。  この時代にたくさんの「お宝ヌード映画」が生まれた一因は「好景気ムード」も関係していると森氏は分析する。

 

「日本全体がバブルに向かうなかで、映画もエロもイケイケの猥雑な勢いが出ていた時期といえるかもしれない」  だがこの熱気も1980年代で一区切り。

 

「1988年のにっかつロマンポルノ終了が象徴的。バブル崩壊とともにヌード映画、並びに邦画景気も急降下します」

 

(週刊FLASH 2016年6月21日号)

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