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女子アナ日下千帆の「美女は友達」元競艇選手の町おこし協力隊

芸能・女子アナFLASH編集部
記事投稿日:2020.03.12 16:00 最終更新日:2020.03.13 15:38

女子アナ日下千帆の「美女は友達」元競艇選手の町おこし協力隊

西野さん(左)と日下アナ

 

 春の香りを運ぶ桜の花がお似合いのこちらの美女は、岡山県の矢掛町からいらっしゃった西野沙織さんです。デニム地にシルバーの花柄というモダンなお着物をおしゃれに着こなしていらっしゃいます。

 

 矢掛町は、旧山陽道18番目の宿場町。現在も当時の姿をそのまま残し、旧本陣と旧脇本陣が国の重要文化財に指定されています。

 

 

 西野さんの最初のキャリアは、なんと競艇選手。中学2年のとき、お父様がその日にたまたま持っていたスポーツ新聞で、女性競艇選手がレースで優勝したという記事を目にしました。

 

 なんて格好いいんだろうと憧れたものの、私になれるはずがないと考え、高校3年まで、その思いを誰にも打ち明けることなく、胸に秘めていました。

 

 ところが、クラスメートに同じ夢を持つ少女がもう1人いたのです。彼女と一緒に本栖モーターボート養成訓練所(山梨県)を受験しましたが、結果は、友人が合格して、西野さんは残念ながら不合格。

 

 夢をあきらめきれずに、1年間事務の仕事をしながら、体力作りに励み、1992年に晴れてモーターボート第72期訓練生となりました。

 

競艇選手時代(平井と書かれたボート)

 

 その翌年に児島レース場(岡山県)でデビュー戦に挑みます。成績は1レース6コース6等とふるいませんでしたが、その後、めきめきと実力をつけ、2000年と2003年には女子王座決定戦に出場するまでに成長しました。

 

「競艇は、個人技のように見えても、実はチームワークが大切。レースが終わると、1艇につき4人以上でエンジン吊りをして保守しないといけません。ボートを誘導する人、旗を外す人、レバーを外す人、エンジンを持つ人。手分けして速やかに作業がおこなわれます。とても1人ではできません」

 

 引退を決めたのは、2008年、平和島レースで後続艇に乗り上げられるという事故のためでした。救助隊に引き上げられたものの、危うく体に大きな傷を負うところだったのです。

 

 このとき、人生は一度きり、生かされている「今」を生きようと新たな選択をしたのです。

 

引退時

 

 次に西野さんが選んだお仕事は、古民家を再生した宿「矢掛屋」の女将でした。これまで全国24カ所の競艇場を飛び回る生活をしていましたが、女将のお仕事は、お客様を迎える側。

 

「競艇選手時代との大きな違いは、さまざまなお客様に出会えること。一期一会でいい思い出をつくってほしいと考えて工夫しました。 なかでも楽しかったのは、オリジナル商品のプロデュースですね。倉敷の特産であるデニム素材の羽織は、お客様に人気でした。

 

 競艇選手時代との共通点といえば、やはりチームワークの大切さでした。予約受付がレシーブ、予約情報の共有がトス、サービス提供がアタックという具合です」

 

 女将の仕事を続けるうちに、この街をもっとPRしたいという欲が出てきたそうです。これまでに培った人脈と経験で町おこしに貢献したいという気持ちから女将業を卒業し、2020年4月から矢掛地域おこし協力隊として、PRグッズの作成や、地元の農家と提携して食材の商品開発を始めます。

 

「添加物のない加工食品など、矢掛産の野菜で元気になれる食べ物を商品化し、食を通して多くの方に幸せになっていただきたいです」

 

 そのために加工食品診断士という珍しい資格まで取得されました。

 

 矢掛町では、毎年11月に大名行列を再現したお祭りがおこなわれます。江戸時代にタイムスリップしたかのような1日が楽しめるそうです。もしかすると、町のどこかで江戸時代のお姫様に扮した西野さんに会えるかもしれません。

 

日下千帆(くさかちほ)
 1968年、東京都生まれ。1991年、テレビ朝日に入社し、編成局アナウンス部に在籍。アナウンサーとして『ANNニュース』『OH!エルくらぶ』『邦子がタッチ』など報道からバラエティまで全ジャンルの番組を担当。1997年退社し、フリーアナウンサーのほか、企業・大学の研修講師として活躍。2012年より、東京タクシーセンターで外国人旅客英語接遇研修を担当

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