芸能・女子アナ
能年玲奈「のん」改名でわかった芸能人が名前を変える理由
芸能FLASH編集部
記事投稿日:2016.10.31 12:00 最終更新日:2016.10.31 12:00
「芸能事務所が加盟する音事協(日本音楽事業者協会)のタレント契約フォーマットには、芸名についての条文があります。契約終了後も、使用する場合は前事務所の承諾が必要と記されています。『能年玲奈』は本名なので、微妙ですが、裁判の可能性を考慮したのでしょう」(芸能プロ関係者)
所属事務所からの独立騒動で、能年玲奈が「のん」に改名し、8月から新ブログを立ち上げた。しかし、ブログ開設を伝えるネット記事は一斉に削除され、前事務所の公式サイトにはいまだに「能年玲奈」の名前が。彼女の改名後の命運はいかに――。
これまで改名で運気が変わった芸能人は数え切れない。「代表的な例は、五木ひろし。松山まさるに始まり、一条英一、三谷謙と変えて、デビュー6年めの1971年に4度めの改名を決意。『いいツキに広く恵まれたい』という理由だったが、同年に『よこはま・たそがれ』が大ヒットした」(音楽関係者)。
1970年代、笑福亭松之助に弟子入りした杉本高文は、実家が水産加工業を営んでいたため、「笑福亭さんま」に。その後、松之助の本名・明石をもらい受け、「明石家さんま」に変えて大ブレイク。
「異色なところでは樹木希林。『寺内貫太郎一家』で女優として地位を確立していたにもかかわらず、1977年4月にテレビ朝日がNET(日本教育テレビ)から社名変更する際の特別番組で、芸名をオークションに出し、2万200円で売却。『同じ音が2つ、3つ重なるのが好き』という理由で、漢字のいちばん多い『き』を3つ重ねて、樹木希林に改名した」(芸能プロ関係者)。
後日、「名前は符牒ですから、なんでもいいんです。名前が変わっても、特にどうってこともありません」とあっけらかんと話している。樹木のようにブレイク後の改名は、非常に珍しいケースだ。
「通常、売れっ子芸能人はよほどの理由がない限り、改名しない。背景には事務所トラブルがつきまとうことが多い」(同前)
浅香唯は1993年2月限りで事務所を退社し、ファンクラブも解散。休業状態に陥った。
「1984年、少女漫画主催のコンテストで『浅香唯賞』を受賞し、そのまま芸名にしていたため、ややこしくなった。1994年1月、本名の川崎亜紀名義で写真集を発売すると、前事務所が『1年間は芸能活動をしない約束だった』とトラブルになり、前事務所と和解する、1990年代後半まで『浅香唯』を名乗れなかった」(音楽関係者)
現在は『池上彰の参院選ライブ』に出演するなど幅広く活躍しているが、20代に思うような活動ができなかったのは悔しいはず。
“ポスト広末涼子”の呼び声が高かった松本恵も、1998年にトラブルに巻き込まれた。
「彼女の母親が大手事務所への突然の移籍を画策。その目論見を当時の事務所社長が週刊誌に告発した。ただならぬ事態に、大手事務所も手を引いたようだ」(芸能記者)
大人に振り回される形となり、2000年から3年間の活動休止に追い込まれる。2002年に「松本莉緒」と改名して復帰。一昨年にはヨガの国際ライセンスを取得し、女優のみならず、ヨガの指導者としても活動中だ。
全国ツアーで15万人を動員し、2年連続で『紅白』に出場。絶頂期を迎えていた鈴木あみは2001年、突然メディアから姿を消す。デビューから2年半たったころだった。
「前年12月に両親がマネジメント契約終了の確認と出演契約の明細の開示を求めた裁判を起こした。2001年7月に勝訴したが、芸能界での活動の場はなくなった。所属事務所は社長が法人税法違反で逮捕されるなど問題があったが、裁判を起こしては、あみの次の引き取り手が見つかりづらかった」(同前)
2002年に本名の「鈴木亜美」に改名。個人事務所で活動しながら本格的な復帰を待ち、2005年に事務所を移籍。年末の『紅白』にも出場した。今年7月には、7歳年下の会社員との結婚と妊娠を発表した。
過去のケースを見ると、能年も前事務所と和解したり、大手事務所が引き取ったりしない限り、浮上は難しいのか。
(フラッシュ増刊ダイアモンド2016年10月27日号)