芸能・女子アナ
「EXILE」を生んだHIROとATSUSHIやんちゃな学生時代
芸能FLASH編集部
記事投稿日:2016.05.03 06:00 最終更新日:2016.05.03 06:00
「僕たちが(開会式の)中心にいられるように準備していきたい」
2014年のあるイベントで、2020年の東京オリンピックについて聞かれると、EXILEのHIROは高らかに宣言した。1999年結成のJ Soul Brothersを改名するかたちで、2001年に誕生したEXILE。
1990年代前半にヒットを飛ばしたZOOの元メンバーであるHIROが中心となり、『Rising Sun』などヒット曲を連発。史上最多となる4度のレコード大賞を受賞し、HIROが社長を務める事務所「LDH」は、E-girlsなど多数のパフォーマーを芸能界に送り込んでいる。
それだけではない。天皇陛下御即位20年の式典で奉祝曲を歌ったり、東南アジア諸国連合(ASEAN)の首脳が集まる夕食会でショーを披露したりと、いまや“国民的グループ”の地位を不動のものとしている。
そこで、彼らの学生時代に焦点をあててみよう。EXILEの象徴であるHIROは、酒やタバコは当たり前のやんちゃな高校生。「モテるための最短コース」として“ディスコの黒服”のバイトまでしていたという。
2001年に新ボーカルとして加入し、いまやEXILEの顔となったATSUSHIも、やんちゃだった。当時の同級生がこう話す。
「休みになると、茶髪や金髪にして、顔も焼いていました。六本木のクラブに、よく遊びに行きましたね。一緒に学校に行くとき、電車の中でタイプのコを見つけると、そのコが下車する駅まで追いかけて、学校に遅刻することもありました(笑)。ガングロや年上が好みで、当時のカノジョは学習院女子のコでしたね」
高校2年のときには、同級生がバイク事故で亡くなる悲劇が起こった。
「ATSUSHIと一緒に葬式に行きました。最寄り駅の近くにあった和菓子屋さんに入り、私たちはなぜかお赤飯を買って、食べながら葬式会場に向かいました(笑)。
そのとき、ATSUSHIは歩きながら、小声で『人の人生ってはかないな……』とつぶやいたんですよ。葬式の帰りには無性に歌いたくなって、みんなでカラオケボックスに行きました。彼は尾崎豊の曲を歌っていましたね。今でも、お線香をあげに行っているそうです。熱い男で、友達思いです」(同)
全国のヤンキーの憧れの的であるEXILEは、どう“成長”を遂げていったのか。彼らを語るうえで、エイベックスの松浦勝人社長の存在は欠かせない。
もともと、松浦氏とHIROは同じ横浜市立金沢高校出身。年は5歳離れているが、大学生の松浦氏がアルバイトをする貸しレコード店に、高校生のHIROが頻繁に訪れ、親交を深めた。
1995年のZOO解散後、行き場のなかったHIROに手を差し伸べたのが松浦氏だった。その後、J Soul Brothersを結成したときも、EXILEとして再出発するときも、松浦氏のエイベックスからデビューしている。
その松浦氏の後押しもあり、2002年、メンバー6人が資本金50万円ずつを持ち寄り、「エグザイル エンタテインメント」を設立。 『Choo Choo TRAIN』がヒットした翌年には、モデル事務所「スリーポイント」と合併し、松浦勝人氏も取締役に名を連ねる「LDH」が立ち上がった。
こうして、EXILEの快進撃が始まるのだ。
(FLASH+ 2015年5月5日号)