芸能・女子アナ
レジェンド女子アナ関谷亜矢子・近藤サト・大神いずみが語る珍取材
女子アナFLASH編集部
記事投稿日:2016.11.14 06:00 最終更新日:2016.11.14 06:16
彼女たちのそばには常に写写丸がいた……。何度も誌面を飾り、1990年代女子アナブームを牽引した関谷亜矢子、近藤サト、大神いずみの3人による鼎談が実現! 今だから明かせる局内部の裏事情から、当時の驚きのお仕事内容、そしてなによりFLASHへ熱い思いを語ってくれた!
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関谷(以下、関) 当時は、FLASHさんから取材依頼の電話が毎日のようにありました。バッグの中身を見たいと言われて、なんでそんなこと気になるのだろうと不思議でしたけどね。
近藤(以下、近) 子供のころの写真を振り返る企画なんかもよくありましたよね。雑誌に昔の写真を出しすぎて、自分の写真アルバムがバラバラになってしまいました。
大神(以下、大) ちょうど女子アナがアナウンス以外にも、いろいろやらされはじめた時代だったんですよね。
近 私はドラマに出させていただいたこともあります。中山秀征さんのお相手役でした。さすがに報道センターから、ニュースを読んでいるアナウンサーがドラマに出るのはいかがなものかと注意されましたけどね。
大 日テレの内部は結構厳しかったです。私の入る直前までは、怒号と灰皿が飛び交うような、ものすごい雰囲気。
関 私は能天気だから覚えてないです(笑)。きちんと育てようとする意識が強かったんですよ。逆にフジテレビはすごく華やかな雰囲気でしたよね。
近 「楽しくなければテレビじゃない」がコピーでしたから。当時はまだ河野景子さんも有賀さつきさんも八木亜希子さん
も現役でした。アナウンス室で一緒になると、「うわ! あの河野景子がいる!」って芸能人を見るような感覚でした。ルイ・ヴィトンのバッグを見て、私も同じの買おうかな、と考えたりしましたよ。
大 週刊誌はすぐに女子アナ同士の仲が悪いと書きたがりますよね。先輩にいじめられているとか。
関 実際はそんなことないのにね。スポーツの現場みたいに男の世界に乗り込まなきゃいけないようなこともありましたから、女子アナ同士一致団結しないとやっていけませんでした。
近 週刊誌には隠し撮りもさんざんされてきましたね。とある週刊誌の記者さんに直撃取材を受けたとき、わざわざ「近藤さ
ん撮られやすいから気をつけて」なんて忠告されましたよ。
大 へんな取材も多かったです。とある雑誌の新春号で、あなたの初夢をテーマに撮影するから動物園に来てくださいと言われました。当然メイクさんがいると思い、一人でスッピンのまま向かったら、待っていたのはカメラマン兼ライターのおじさん一人だけ。ノーメイクのまま、アラブ風の衣装を着させられて、ラクダに乗せられたんです。今思い返しても、結局何の取材だったのかわかりません……。
関 一方、FLASHさんはいつも好意的でした。きちんとテーマを決めて取材をしてくださり、いつも応援してくれましたから。当時の写写丸くんは、女子アナ取材の優等生でしたよ!
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せきやあやこ 1964年5月16日生まれ 東京都出身 1988年日本テレビにアナウンサーとして入社。おもにスポーツ番組を担当した。2000年、同社編成局員との結婚を機に退社。現在はフリーアナウンサーとして活躍している
こんどうさと 1968年7月11日生まれ 岐阜県出身 1991年フジテレビに入社。『FNNスーパータイム』など、おもに報道番組を担当。1998年に退社しフリーに。現在はナレーターとして活動。日本大学芸術学部特任教授も務めている
おおがみいずみ 1969年6月10日生まれ 福岡県出身 1992年日本テレビにアナウンサーとして入社。おもにバラエティ番組を担当。1999年に退社し、フリーに。2000年、当時読売ジャイアンツに所属していた元木大介と結婚
(週刊FLASH 2016年10月18日号)