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戦争が生んだ世界遺産「国立西洋美術館」

社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2016.07.23 09:00 最終更新日:2016.07.24 01:29

戦争が生んだ世界遺産「国立西洋美術館」

 国内では20番目となる世界遺産が誕生した。大阪観光大学観光学研究所客員研究員の濱田浩一郎氏が、その来歴についてまとめた。

 


 

 

 7月17日、国立西洋美術館の世界遺産登録が決まった。7カ国17資産で構成される「ル・コルビュジエの建築作品群」である。その影響で、開場前から大行列が続いているそうだ。同館は、1959年、フランス政府から日本へ寄贈された「松方コレクション」を保存・公開するために設立された。

 

「松方コレクション」とは、神戸の川崎造船所の社長だった実業家・松方幸次郎(1865~1950、総理大臣を務めた松方正義の三男)が、欧州で収集した膨大な美術品のことである。

 

 今回は、数奇な運命をたどったこのコレクションについて紹介しよう。

 

 1914年(大正3年)、オーストリア・ハンガリー帝国の皇太子夫妻がセルビア人に暗殺されるという「サラエボ事件」が起きた。当時、政情が不安定だったバルカン半島では、テロは珍しくなかった。

 

 その後、松方が社長を務めていた神戸新聞に1本の外電が入る。「オーストリア・ハンガリー帝国がセルビア王国に最後通牒を出した」というニュースだ。

 

 このニュースを知った松方幸次郎は「世界大戦争が起きる」と確信し、やはり社長を務めていた川崎造船で、船の大増産に入った。

 

 その判断は見事的中する。サラエボ事件は第1次世界大戦につながり、当時、世界有数の造船大国だったイギリスとドイツが戦い、船が世界的に不足。川崎造船は大儲けする。

 

 松方は、このときの儲けをフルに使って、モネ、ルノワール、ゴッホなどの絵画、ロダンの彫刻など1万点以上の作品を私財で買い集めた。松方はギャラリーに出向くと、手にしたステッキで壁の絵をぐるりと指して、「全部でいくらだね」と聞いたという。

 

 松方が美術に情熱を傾けたのは、趣味のためではなく、自らの手で日本に美術館をつくり、若い画家たちに真の西洋美術を見せたいという公共心からだった。

 

 ところが、第一次世界大戦後、不況が訪れ、さらに海軍軍縮条約などで、川崎造船の経営は悪化。松方が買った大量の美術品は売却され、散逸していく。

 

 ムンクの「坑夫」は日本銀行に買われた。ロンドンに保存していた美術品は焼失している。

 

 パリに保存した400点ほどの美術品は、第2次世界大戦でフランス政府に押収されたが、これが後に返還され、国立西洋美術館の基本コレクションとなった。美術館がフランス人建築家ル・コルビュジエの設計なのはこのためだ。

 

 松方の、高い志を示す逸話がある。

 

 あるとき、川崎造船所の株主総会で、松方の功労に対し、500万円贈呈することを決めた。それを聞いた松方は「諸君の厚意をありがたくお受けする」と株主に謝辞を述べ、こう話を続けた。

 

「この金はいったん私がお受けしました。しかし、この金の源を考えると、諸君が財産の一部を提供して株をお持ちになったことと、諸君の事業発展の尽力によって生まれものだ。よって私は改めてこの金を諸君一同に贈呈したい」

 

 株主たちは、松方の人格に感嘆したという。松方のさまざまな思いを知ったうえで、美術館を見るのも一興だろう。

 


(著者略歴)

濱田浩一郎(はまだ・こういちろう)

 1983年生まれ、兵庫県相生市出身。歴史学者、作家、評論家。現在、大阪観光大学観光学研究所客員研究員。現代社会の諸問題に歴史学を援用し、解決策を提示する新進気鋭の研究者。著書に『日本史に学ぶリストラ回避術』『現代日本を操った黒幕たち』ほか多数

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