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かつて慶応大学は8月入学…なぜ日本は「4月入学」になったのか
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2020.05.05 11:00 最終更新日:2020.05.05 11:00
新型コロナウイルスの感染拡大により、各学校の休校期間が長引くなか、9月入学制度の導入が議論になっている。政府は、9月入学に変更した場合の影響や課題について、GW明けにまとめる方針を打ち出した。
そもそも、世界では9月入学が主流なのに、なぜ日本では4月入学が続いているのか。これには理由がある。青山学院大学の文学部史学科で教鞭をとる小宮京教授は、「4月入学は、明治の途中から導入されたもの。明治初期は、欧米文化の影響もあり、中等教育以上の学校では9月入学が主流だったんです」と語る。
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教育制度を作り上げていく時期だった明治の初めは、各学校のスタート時期がばらついていた。国立は9月入学が主流だったものの、小学校の入学時期は正月。私立はまた別で、知られた事例では、慶応義塾大学は初期の頃、8月入学だったという。
9月入学制度が最初に崩れたのは、1886年(明治19年)、高等師範学校(現・筑波大学)においてだった。
「主な理由は2つあります。明治19年に徴兵令が改正され、対象者の届出期限が9月から4月に変更になりました。9月入学のままでは、優秀な人材が軍にもっていかれてしまうというのが一つ。
もう一つは、会計年度と入学時期を一致させるためです。高等師範学校は国立のため、予算は国からくる。国の会計年度とズレがあると、どうしても学校財政の処理に不便があったようです。
ちなみに、9月入学の場合、学年最後の時期におこなう試験は、必然的に夏の時期です。千葉県師範学校(現・千葉大学教育学部)が、4月入学を申請する際に『時期炎熱ニシテ勉学ニ適セザル』と申し出たという資料が残っています。直接の理由となったかはわかりませんが、こうしたさまざまな意見があったようですね」(小宮教授)
高等師範学校という、当時の教育機関のトップが4月入学に移行したのを皮切りに、小学校、中学校、高校などが、徐々に入学時期を4月にそろえ始めた。
「大学では、1913年(大正2年)に、東京帝国大学(現・東京大学)で4月入学が議論にのぼります。文部省から、社会に出るまでの期間を短縮せよと、強い要請があったようです。当時は小中の義務教育までが4月入学・3月卒業でも、旧制高校や大学入学が9月のため、半年間の空白があります。今でいう『ギャップイヤー』の解消を求められていたのです。
この流れは、大臣の交代により一度ストップします。その後に話が進み、実現したのが1921年(大正10年)。ここが、各学校がおおよそ4月入学に揃ったタイミングかと思います」
とはいえ、制度の移行には問題がつきものだ。1920年の移行期には、教育期間を短縮するため、東大の建築学科では、9月入学の直後から毎日、午前午後は講義、夜は製図という非常にハードなカリキュラムになったという。
「今回の9月入学導入でも問題になるでしょうが、結局どこかの学年で、必ずギャップが発生します。当時の東大は、毎日、朝夜拘束することで、無理やり詰め込むスタイルでした。
しかし、今このやり方を取ることは難しいでしょう。文科省によって、年間に取得できる単位数の上限が決められているからです。取得できる単位数は、1コマにつき前後2時間ずつ、講義時間も合わせて約6時間勉強することを前提に計算されています。今回、かつてのような詰め込みスタイルを取ろうとすれば、『必要な勉強時間が確保されていない』と文科省が言い出すんじゃないでしょうか。
もしやるとすれば、ある学年だけ1年半在学してもらう形は考えられます。この場合、半年間多めのお金を払う必要があるのか、そのお金は誰が払うのか問題ですが……。ただでさえ、今は学費の減免要求が出ている状況です。このあたりをクリアできるかが、9月入学導入の課題になってくるでしょう」
安倍首相は、4月30日の参院予算委員会で、「今後、学校再開に向けた状況を見極めつつ、文科省を中心に、9月入学も含めてさまざまな選択肢を検討していく必要がある」と話した。メリット・デメリットの洗い出しが急速に進んでいる。