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世界遺産「軍艦島」に朝鮮人専用の遊廓があった!

社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2016.08.19 07:00 最終更新日:2016.08.19 17:29

世界遺産「軍艦島」に朝鮮人専用の遊廓があった!

 

「明治日本の産業遺産」23施設のひとつとしてユネスコから世界遺産として認められた長崎県の軍艦島(端島)は、いま多くの観光客でにぎわっている。

 

 だが、世界遺産になるまでには、韓国側の大きな反対で調整が難航した。韓国が反対した理由は、例によって歴史問題だ。

 

「23施設のうち7施設で、朝鮮半島出身者5万7900人が強制労働させられた」というのが韓国の言い分だが、はたしてそれは事実なのか。

 

 軍艦島では、1890年から石炭の採掘が始まった。産出される石炭は良質で、八幡製鉄所の原料炭として供給されるなど、日本の近代化の基幹的な役割を担ってきた。最盛期の1950年代には周囲1.2キロの島に5300人が暮らし、世界最大の人口密度を記録。だが、1974年に閉山すると、島民が一斉に退去し、無人島となった。

 

 NPO法人「軍艦島を世界遺産にする会」理事長の坂本道徳氏氏は、小6から高3まで軍艦島で暮らしていた。坂本氏が当時の生活を振り返る。

 

「親父が炭鉱マンで、筑豊から移住したんですが、生活レベルが全然違いました。当時はまだテレビはあまり普及してなかったんですが、この島には、ほとんどの家にテレビも洗濯機も冷蔵庫もあった。うちでもすぐに揃いました。仕事はきつくても、給料は筑豊よりだいぶよかったと思います」

 

 住んでいたのは軍艦島で最大規模の65号棟の高層アパート。6畳と4畳半に一家5人暮らしだったが、「当時の平均的な社宅はそんなものでしょう」と坂本氏は懐かしむ。商店街やパチンコホールなどの娯楽施設も充実していた。

 

 さらに、1957年に売春防止法が施行されるまでは「遊廓」もあった。

 

「父親の話によれば、3軒の遊廓があり、そのうちの1軒は朝鮮人専用だったそうです」(坂本氏)

 

 軍艦島に10年以上通い、元島民たちの話から遊廓の存在を確認したのが、『軍艦島入門』を刊行した黒沢永紀氏。

 

「遊廓といっても、塀で囲われた廓状のものではなく、単体の店、つまり遊女屋ですが、元島民たちはみんな『遊廓』と呼んでいました。大正時代、すでに島には遊廓が7軒あり、女性は20人くらいいたとのことです。1軒3人くらいの計算ですね」

 

 昭和になってからは、島の南にある南部商店街と呼ばれる地域に3軒の遊廓があった。

 

「1933年の長崎新聞に、遊廓『本田』の記事が取り上げられています。『炭粉にまみれた鉱夫たちの荒くれた心身を愛撫してくれる。これもまた端島の持つ一断面である』と。この『本田』と『森本』が日本人用の遊廓、そして『吉田』が朝鮮人専用でした。『吉田』は遊女も朝鮮人。朝鮮人専用の遊廓を作った理由は、言葉の問題もあったろうし、なにより朝鮮人労働者が多かったということでしょう。いずれにしても、朝鮮人も日本人と同じように遊廓で遊べたのです」

 

 フリーカメラマンの酒井透氏も、元島民の証言を得ている。

 

「3軒の遊廓には10人くらいの女性が常にいたといいます。10代や20代の女のコではなく、ちょっと年端のいった女性が多かったらしい。2階に“ちょんの間”用の部屋が5〜6部屋並んでいた。連れ出しはなかったようです」

 

 端島には1920年代から、多くの朝鮮人が働いていた。仕事と高給を求めて自ら海を渡ってきた人たちだ。なかには密入国して島を目指す人もいたが、日本人警官は律儀に追い返していたという。

 

「1941年に太平洋戦争が始まるとその数は急激に増え、1943年には朝鮮人約500人、中国人約200人がいたという記録があります」(酒井氏)

 

 戦局が悪化し、日本人の労働者が不足した1944年9月、国民徴用令によって朝鮮人の徴用が始まった。徴用は半年で終わるが、韓国はこれを“強制連行”と主張する。その証拠として「朝鮮人は危険な仕事を1日12時間もさせられた」(軍艦島でかつて働いた韓国人)などと言うが、元島民の坂本氏が島の長老から聞いた話は違う。

 

「前線で石炭を掘るいちばん危険な作業には、必ずベテランが入るそうです。不慣れな者がやって事故を起こせば、後方の者も全滅してしまいますから。そこに新米の朝鮮人を入れるとは考えにくい。危険で過酷な労働というのは確かですが、朝鮮人に限らず、日本人も同じ現場で働いていたんです」

 

 賃金も日本人と同じように支払われていた。食事も粗末だったと言うが、「日本人でもイモ1個とかいう時代なので、朝鮮人だけ粗末な食事だったというのは事実と違うと思います。住宅だって、朝鮮人も日本人も同じような部屋に住んでいたんです」(黒沢氏)

 

(週刊FLASH 2015年6月2日号)

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