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痴漢冤罪はどうして生まれるのか…「目撃証言」の危険性

社会・政治 投稿日:2020.08.07 16:00FLASH編集部

痴漢冤罪はどうして生まれるのか…「目撃証言」の危険性

 

 ビデオジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が司会を務めるオンライン討論番組 「マル激トーク・オン・ディマンド」。ゲストに呼ばれたのは、痴漢事件を通して刑事裁判を描いた映画『それでもボクはやってない』(2007年)を監督された周防正行さんだ。

 

 

神保 痴漢で逮捕された場合、日本では起訴するかどうかを決めるまでに23日間の勾留ができる。この23日という期間が被疑者にとってはとてつもなく長い時間となります。

 否認を続けると、起訴後も勾留される可能性が高いし、現在の日本の刑事司法制度の下では、起訴されるとほぼ確実に有罪になる。そのとき、否認を続けた被告は、「反省の色が見られない」としてより量刑が重くなるというおまけまでついてくる。

 

 周防さんの映画の中にも、まさにそんなシーンがありました。弁護士が被疑者に、実際に犯行をやっていてもいなくても構わないので、とにかく罪を認めたほうが得ですよと諭すシーンです。やっていなくても罪を認めてしまったほうが得になるという事態が、実際に日本の司法システムの中に存在しているということですね。

 

周防 一つ面白いなと思ったエピソードは、警察が被害者に言われた通りの状況で再現実験をしてみたら、痴漢できなかったんですね。で、その報告書を隠していた。

 

 ところが、被害者が証人尋問の際に、「警察でも再現実験して確かめました」と言ってしまった。だから、その報告書を出さざるを得なくなった。

 

 要するに、警察はその体勢では痴漢行為はできないということをわかっていたのに、それを隠して裁判をしていたわけです。

 

神保 映画の中でも、被疑者の近くにいた男性が、被疑者の位置からは痴漢はできなかったと証言していたことを知った弁護団が、検察に対してその証拠の開示を請求したら、検察は不見当と答えるだけで、結局、最後までその報告書は開示されませんでした。

 

周防 不見当、つまり「見当たりませんでした」ということです。「ありません」と言うと決定的な嘘になるから、「そのときは見当たらなかった」という言い訳です。

 

 証拠開示については、取材してすぐに、被告人側はすべての証拠を見ることができないまま裁判をしているんだということがわかって非常にショックでした。

 

宮台 映画で、女子中学生に「この人、痴漢です」と言われた主人公が駅事務所に連れて行かれますが、そのとき被疑者の近くに乗り合わせていた女性が事務所に来て、「この人は犯人じゃないと思います」と言う場面があります。

 

 でも、駅員にきちんと話を聞いてもらえず、その女性は立ち去ってしまいます。主人公は取調べの際に、そう証言してくれた女性がいたことを訴えます。捜査官は彼女のことを探さなければいけないはずなのに、本気で探そうとしません。

 

 さらに、被害者の女子中学生と、その近くにいた小太りの男性が、「その女の人は、『この人が犯人だと思います』と言ってました」と証言してしまう。

 

 映画を見た多くの人は、彼らはなぜそんなことを言うのだと思うでしょう。しかし、あそこで女子中学生と小太りの男性は、主人公が犯人に違いないと思っているので、それに整合するように知らないうちに認知を歪めてしまったのかもしれません。

 

 あるいは、検察に誘導されて証言し、引っ込みがつかなくなったのかもしれない。ある種の認知的整合化です。

 

神保 あのエピソードには、そういう狙いがあったんですね。

 

周防 はい。アメリカの誤判研究を見ても、目撃証言の誤りが一番多いんです。この人に間違いありませんと言っていたのが、DNA鑑定をしてみると全く違った。それくらい人間の記憶はあてにならない。

 

 映画のケースは、被害者の女子中学生にとっては痴漢をされたというショックの中で、「わざわざ駅事務室に来てくれるんだから私の味方だ」と思い込んで、そう聞こえてしまうということは十分あるだろうと考えました。

 

神保 しかも、被疑者の友達と母親が方々でビラを撒いてやっと探し当てたその女性の証言も、裁判官は「それだけでは彼がやっていないことにならない」と判断してしまいます。推定有罪が前提だと、そういう判断になるわけですね。

 

周防 痴漢事件摘発の経緯を振り返ると興味深いことがわかります。1990年代の初めまで、被害者が被害を訴えても、ほぼ相手にしてもらえなかった。証拠もないのに裁判をしても勝てないと言われて、被害者は泣き寝入りしていた。

 

 それが1990年代の半ばから、迷惑防止条例違反で摘発するようになります。摘発する以上、犯人を有罪にしなかったら意味がない。裁判所が検察の有罪立証に合理的疑いが残ると無罪を連発したら、またまた被害者が泣き寝入りすることになる。無罪は出しにくいですよね。

 

神保 それで、無理な立証が行われるようになったと。

 

周防 そういう流れができたのだろうと思います。でも立て続けに3件ぐらい無罪が出た年があって、今度は立証のしかたが変わってきます。「確かに触っているその手を見て、間違いなくその手をつかみました」といったように、被害者の供述がより客観的なものになって、誤認逮捕ではないということを強調していくようになった。

 

「はっきりとは見ていないが、この人しかいない」といった主観的な供述調書は作られなくなります。つまり警察や検察は、裁判官が何をもって無罪としたかを分析して、どうすれば有罪にできるかということを学習して対策をたてるわけです。供述調書に何をどう書けば有罪になるか、そのテクニックを進化させていく。

 

 映画制作のときは被害者への取材はあまりできませんでしたが、被害者の中には、自分が捕まえた人が真犯人だと確信している人もいれば、「違うかもしれない」と思っている人もいます。そのときに彼女たちは「警察がきちんと捜査してくれる」と信じています。まさか、やっていない人をやったと決めつけるようなことが行われているとは思っていない。

 

 ところが警察からすると、現行犯逮捕で被害者が犯人を直接連れてきてくれる事件なので、ある意味楽なのです。被害者の供述調書を上手に作れば、それを証拠に有罪が取れる。だから、まともに捜査はしないです。

 

神保 被疑者のほうも、本当にやっていない人は、ちゃんと話せばきっと裁判官はわかってくれるはずだと思ってしまう。

 

周防 自白する人たちの心理として心理学者の浜田寿美男さんは、被疑者は、今目の前にある取調べの苦しみから逃れることを優先して、自白してしまう。なぜなら、本当にやってないのだから、裁判で無実を訴えれば裁判官はわかってくれるはずだと考えるからだ、と書かれています。この心理は理解できます。

 

神保 警察や裁判官といった権威に対する根拠のない「信頼」が、裏目に出てしまっているんですね。

 

 

 以上、『暴走する検察~ 歪んだ正義と日本の劣化』(光文社)をもとに再構成しました。「黒川問題」であぶり出された官邸・メディアとの癒着、ゴーン逃亡から見る「人質司法」、「作られる」自白、進まぬ取調べの可視化……。ジャーナリストの神保哲生氏と社会学者の宮台真司氏が、検察について徹底討論。

 

●『暴走する検察』詳細はこちら

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