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小池百合子「女子の本懐」を支える「最高の能力」とは?

社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2016.09.01 12:00 最終更新日:2016.09.01 12:00

小池百合子「女子の本懐」を支える「最高の能力」とは?

 

 大阪観光大学観光学研究所客員研究員の濱田浩一郎氏が、小池百合子の強さの秘密について考察する。

 


 

 

 小池百合子都知事(64)が五輪旗を持って、リオからさっそうと帰国した。だが、敵対する自民党都連(東京都支部連合会)の都議らが露骨に無視する様子が報じられ、「イジメだ」との声が高まった。

 

 8月2日に初登庁し、あいさつ回りしたときも冷遇されており、世論は完全に小池知事側についているようだ。小池知事は、帰国後すぐに「利権の巣窟」と思われた豊洲市場への移転を延期した。都連との対立は、今後いっそう強くなるだろうが、ジャンヌ・ダルクばりに、ぜひとも頑張ってほしいと思う。

 

 小池氏は「初の女性都知事」だが、かつて「初の女性防衛大臣」にも就任している。わずか55日だけだったが、離任式でこう挨拶した。

 

「国家存立の基本にかかる崇高な任を務めることができたことは誠に光栄であり、まさに『女子の本懐』でございました」

 

 ちなみに、『男子の本懐』は城山三郎の経済小説のタイトルだが、その内容は浜口雄幸と井上準之助が不況を脱するためにおこなった「金解禁」を描いたものだ。

 

 いまさら言うまでもないが、日本に女性政治家は極めて少ない。政治は基本的に男のものであり、「女子供」に政治はできないと言われてきた。だからこそ、小池都知事は万感の思いで「女子の本懐」という言葉を使ったのだろう。

 

 それにしても、なぜ日本には女性政治家が少ないのか。ここで思い出すのは、「日本初の女性国会議員」として有名な園田天光光(1919~2015)である。

 

 天光光(本名である)は、東京女子大を卒業後、早稲田大学政経学部に進学を希望した。しかし、大学側は「女性は英語の勉強時間が少ないから原書が読めないだろう」として、願書をなかなかくれなかったという。

 

 それでも受験し、筆記試験は通過する。ところが、面接で「どこに就職するつもりか」と聞かれ「早稲田なら人間一人が生きていけるように育てていただけると信じてきました」と答えた。

 

 すると、「生意気をいうな。女なんか、かまどの前に引っ込んでいろ」と言われ、不合格となってしまう。その後、フェミニストが多かった早稲田の法学部に合格し、1942年に卒業した。

 

 終戦直後、餓死者が放置されている無残な状況に我慢ならず、仲間とともに「餓死防衛同盟」を結成。そこから、初めて女性参政権を認めた戦後初の衆院選に出て当選する。1946年のことだ。

 

 このとき当選した女性議員は39人。27歳だった天光光は、もんぺ姿で国会に初登院した。当時の気持ちを後にこう語っている。

 

「女性の時代が確実に来る。晴れやかな誇らしい気分でしたね。なんとも言えない自由な解放感。戦前は女性が意見を言っても無視され不当に差別されていましたから」

 

 だが、ほかの女性議員は選挙制度が中選挙区制に変わると、次々と消えていった。マドンナ旋風など一時的な女性議員ブームはあったが、長らく低迷してきた。1946年の39人を超えたのは、実に2005年になってからだ。

 

 世界の女性議員の割合を調査している「列国議会同盟」(本部ジュネーブ)によると、2015年、日本には83人(11.6%)の女性議員しかおらず、そのランキングは186カ国中147位の体たらくである。

 

 外国に女性議員が多い理由は、法律で決めているからだ。議席数や女性候補者の割合を法定することを「クオータ制(割当制)」と呼ぶ。法律で決まっていなくても、各政党が自発的にクオータ制を導入している国も多い。  

 

 しかし、都連の低レベルなイジメを見れば、この日本でクオータ制が採用される見込みは薄い。日本の政治は、今後も男どもが動かしていくのだろう。

 

 天光光という名前は、《天》は宇宙、《光》は創造の分子、最後の《光》は世の中の光となるように、との願いが込められているという。

 

 その天光光は、『女は胆力』(平凡社新書、2008年)という本にこんなことを書いている。

 

「品格とか見識という言葉がはやっていますが、そんなもの、ちょっとやそっとじゃ身につきません。それよりも胆力を養ってほしい。何事にも動じない心と体ができあがって初めて品格や見識が備わってくるのではないでしょうか」

 

 まさに小池都知事へのはなむけの言葉だ。間違いなく、小池氏に胆力はありそうだ。ぜひともその力をもって男どもの鼻を明かし、「見たこともない都政」を我々に見せてほしいと思う。

 


(著者略歴)

濱田浩一郎(はまだ・こういちろう)

 1983年生まれ、兵庫県相生市出身。歴史学者、作家、評論家。現在、大阪観光大学観光学研究所客員研究員。現代社会の諸問題に歴史学を援用し、解決策を提示する新進気鋭の研究者。著書に『日本史に学ぶリストラ回避術』『現代日本を操った黒幕たち』ほか多数

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