■事件後も続く犯罪行為「怒りは限界を超えた」
この間、現地や中央の報道には、「沖縄を馬鹿にするな」という「現地の声」がしばしば現われた。だが、情報がきわめて限られた本土の人々に、その真意が十分に伝わったとは思えない。
事件を受け、米軍は基地内外での飲酒禁止令を発したが、米兵の飲酒運転事故はその間にも相次いだ。麻薬使用容疑で逮捕された軍属もいた。
英国人ジャーナリストは沖縄海兵隊の新人研修資料を入手して、「沖縄県民は感情的」「多くの県民は軍用地料に頼り、基地返還を望んでない」「“ガイジン・パワー”で女性にもてすぎるから要注意」などと、偏見に満ちた内容を暴露した。
在日米軍司令部はフェイスブックで自己正当化のキャンペーンを始めた。沖縄の米軍基地集中度74%という政府も認めている数値を「事実ではない」として、面積比の代わりに施設数で割り出した「39%」という数字を強調して印象操作を図った。
ひと皮剝けば、次々と露わになる米軍の侮蔑的態度。こうした情報が、現地では連日のように暴かれているのである。
6月19日には那覇市で事件に抗議する県民集会が開かれ、約6万5000人の参加者が「怒りは限界を超えた」と印刷したプラカードを掲げた。
7月10日の参院選では、6年前の知事選やその後の宜野湾市長選で連敗中だった革新候補・伊波洋一が知事与党「オール沖縄」に支えられ、現職の沖縄担当相・島尻安伊子を、10万票を超す大差で打ち破った。その数は明らかに、政権の沖縄政策に向けられた有権者の意思表示だった。
しかし政権は沖縄の民意を顧みるどころか、選挙翌日から「力による問題解決」に打って出た。報道によれば、「(島尻落選によって)沖縄に気を遣う理由がなくなった」と説明する政権幹部もいたという。
開票日翌日7月11日の未明、高江での機材搬入が不意打ちで始められ、ほどなく全国各地から機動隊が来県した。
政府はまた、米軍犯罪の再発防止策として、本土の防衛省職員など70人からなる防犯パトロール隊を新設していたが、実際にはその全員が高江の基地警備に従事していることも発覚した。
3月に裁判がいったん和解して、国と県の「話し合い路線」に転じていた辺野古問題でも7月22日、国は県を福岡高裁那覇支部に再提訴。8月5日には知事も出廷して第一回口頭弁論が開かれたが、県側の証人申請はことごとく却下され、裁判長は9月16日に裁判を「スピード決着」させることを通告した。
政府はまた、辺野古問題で「埋め立てをともなわない陸上部の工事は、国県の協議や裁判と無関係」と主張して、高江と同様に一方的に着工する意思を示している。
■本土を「日本」と異国のように呼ぶ若い世代
この1年半、沖縄で痛感することは、本土での沖縄報道が絶望的に限られていることだ。沖縄で起きていることは、反米闘争でも安保闘争でもない。
沖縄に駐留する必然性が薄い海兵隊について「本土との公平な基地負担」を求めているだけだ。
政府はしかし、その主張に耳を貸さず、国民の関心も薄い。
私の皮膚感覚で言えば、昨年の世論調査で8.4%しか賛成しなかった「沖縄独立」の賛同者は二桁になっていると思う。少なくとも、なにげない日常の会話で「独立」の語が出るのは珍しくなくなった。若い世代でも、本土のことを異国のように「日本」と呼ぶ人を見かける。
辺野古でも高江でも「力による基地建設」は簡単かもしれない。だが、沖縄の心は日を追って本土から遠ざかっている。
明治期の琉球処分で沖縄が日本となって137年。かの地からこれほど明確に「日本」への怒りが示されることはなかった。このままでは、基地問題の混迷よりはるかに深刻な禍根が、将来に残されることになる。
取材/文・三山喬(みやまたかし)
1961年、神奈川県生まれ。1998年に朝日新聞社を退社しフリージャーナリストに。代表作に『ホームレス歌人がいた冬』『日本から一番遠いニッポン』など
(フラッシュ増刊ダイアモンド2016年10月27日号)