■「偉大なるイエスマン」武部勤氏の証言
だが小泉氏は「負け戦」からの大逆転を狙っていた。味方につけようと白羽の矢を立てたのが、同じく話術が巧みで人気も高い眞紀子氏だった。
「小泉さんから『拓さん、彼女を味方につけたいんだ』と相談されました。私は『それは無理だよ。来るわけがない』と応じたんですけど『とにかく頼んでくれないか』と。
平成研は角栄さんが率いた田中派のDNAを継いでいます。だから、平成研の橋本さんの対抗馬の小泉さんを、眞紀子さんが応援することは考えづらかった。だけど、打診するとOKでした。そりゃあ驚きました」(山崎氏)
なぜ、眞紀子氏は小泉応援団になったのか。
「橋本氏は竹下派七奉行と呼ばれた竹下登元総理の側近。角栄氏はその竹下派にクーデターを起こされ失脚しました。眞紀子氏に、そのときの私怨があったことは想像に難くない」とは永田町事情通。
総裁選後も「小泉語録」の数々は人々の記憶に残った。
小泉時代に幹事長を務め、「偉大なるイエスマン」を自認した武部勤氏に聞いた。
「演説などでの言葉はすべてご自身で考えていました。『自分の考えを自分の言葉で語れないようでは政治家の資格がない』というお考えだったのではないでしょうか。
先生はよく『論語』を読んでおられました。何十回も読み込まれていたようで表紙はボロボロ。論語から演説などのヒントを得ていたのでしょう。
そして『今、国民は何を求めているのか』をいつも考えておられました。言葉のひとつひとつは強烈でも、皆さんにわかりやすくを心がけ、表現の細部にも注意を払っておられた記憶があります。自民党のポスター制作などにも細かな指示をいただきました」
今でも語り継がれるエピソードがある。
総理就任直後、小泉氏の顔が写されたポスターが作られた。そこには「小泉の挑戦に、力を。」のキャッチコピーが添えられていたが、最初は「。」がなかったといわれている。
しかし、小泉氏が「歯切れがよくなる」と「。」の追加を指示。以来、ポスターのキャッチコピーの最後には「。」がつくことが定番になった。
さらに武部氏は「政治家が、自ら発した言葉を国民に信じてもらうには、公私混同が最もいけません。小泉先生はそれがなかった。贈り物はアメひとつでも受け取りませんでしたから。それで国民に言葉が信頼されたと思います。『信なくば立たず』です」と言う。
■角栄氏と小泉氏と菅総理の違い
歴代総理で演説の妙手といえば筆頭は田中角栄氏だろう。角栄氏と小泉氏の演説に共通点はあるのか、ないのか。角栄氏に関する著書も多い政治評論家の小林吉弥氏に聞いた。
「角栄氏の残した言葉に『政治は気迫とスピードのふたつしかない』があります。
小泉さんは聴衆に受け入れられやすい、短いセンテンスのキャッチフレーズを絶叫して“気迫らしきもの”は確かにありました。
しかし言葉だけが躍る感じで、そこに解説的なものはなかった。煙に巻くというか、回避しているようにも見えましたね。
一方の角栄氏は気迫もスピードもあり、かつ数字にとても強かった。演説にもいろいろな数字を入れました。ごまかしがきかない数字は説得力があります。そこが小泉さんにはなかったことですね。大きな違いです」
「答弁ベタ」とされる菅義偉総理は小泉氏から学ぶことはあるのか。前出の高津氏は「機転を利かせること」と言う。
「衆院予算委員会で民主党の岩國哲人氏が外国の郵政民営化の成功例、失敗例を挙げ『がっかり、うっかり、ちゃっかりのどれを学ぶか』と質問。
小泉氏は『各国の例を参考にしながら“しっかり”民営化させたいと思っております』と答弁。当意即妙の好例です」
小林氏は「原稿棒読みは自分の言葉を持っていないイメージを持たれ、気迫を感じられません。官房長官時代は棒読みでもなんとかなったでしょうが、総理ですから目線はつねに国民へ向けられなければいけません」と指摘する。
小泉総理時代の5年半の評価には賛否両論がある。だが、その「言葉」に国民は共感していた。
次のページでは、小泉純一郎の10の名言・至言と略年譜を紹介する。