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【4月3日の話】日本橋で開通式…芸者の踊りや三味線の余興も
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2021.04.03 06:00 最終更新日:2021.04.04 17:53
1911年(明治44年)4月3日、日本橋がそれまでの木橋から、現在まで続く石橋に生まれ変わり、開通式がおこなわれた。
石橋の工事自体は1906年から始まっており、当初2年で完成する予定だったが、延期が重なり5年もかかった。江戸時代から日本橋は何度も焼けたり落ちたりしてきたため、石橋は人々から大いに歓迎されたという。
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日本橋の歴史に詳しい「弁松総本店」代表の樋口純一さんに話を聞いた。
「絵葉書を見るとわかりますが、開通式は、当時の一大イベントだったようです。あいにくの雨でしたが、神田から銀座まで続く中央通りはたいへん混雑し、途中から先に進めなくなるほどだったとか。あちこちで事故が起きたという話もありますから、ちょっとした混乱状態だったんでしょう」
開通式はどのような様子だったのか。
「過去の史料で開通式のプログラムを見たことがあるのですが、東京市長の演説など、式典によくある、お偉いさんたちの長々としたお話がひとしきり続いたようです。柳橋、日本橋、芳町の芸者さんたちが踊ったり三味線を弾いたりする余興もありました。
また、『渡り初め』といって、3世代の夫婦が同居する家庭から選ばれた人たちが、最初に橋を渡る儀式もありました。明治時代ですから、3世代とも元気に暮らしている家は珍しかったと思われます。
現在も残る日本橋の銘板の文字は、当時の東京市長から依頼があり、江戸幕府最後の将軍であった徳川慶喜が入れています。開通式にも呼ばれたらしいですが、出席はしなかったみたいですね」(樋口さん)
樋口さんは、4月3日にひそかにやってみようと思っていたことがある。
「3日が雨なら、当時と同じように傘をさして日本橋を歩きたいなと思っていたのですが、どうも今年は晴れてしまうようです。4日は雨らしいですが(笑)。
個人的には、かつて輝いていた電飾だけでも復活してほしいですね。当時の東京市のシンボルマークがデザインされていて、趣がありますから。いまの日本橋に電飾が設置されたら、たくさんの人が見に来ると思いますよ」