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女性を差別するな!「男女雇用機会均等法」第1期生の35年/5月17日の話
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2021.05.17 06:00 最終更新日:2021.05.17 06:00
1985年5月17日、男女雇用機会均等法が制定され、性別を理由にした雇用上の差別が禁止された。その後も時代の変化にともなって何度も改定され、出産・育児などに対する取り決めや、セクハラ・マタハラの禁止といった事項が盛り込まれていく。
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大学までは男女平等をうたいながら、社会へ出た瞬間に、女性がのけ者にされる時代があった。男女が平等に働ける職場は公務員か、一部の外資系企業ぐらいだったという。均等法が施行された1986年、大手生保に入社した “1期生” の女性Aさんが当時を振り返ってこう語る。
「あの頃、日系企業で女性の総合職はまったく用意されていない時代でした。でも均等法が出たことで会社も動き始め、私は大卒女子を採用するための『特別職』という枠で入社しました。
私は地方から上京してきたので、なるべく早く、経済的に自立したいという気持ちが強くありました。ベースのお給料に加え、頑張ったぶんだけインセンティブがつくことから、営業を選んだ部分もあります。
当時の同期は男性が約150人、女性が27人です。高学歴で優秀な女性たちが集まったのですが、2年目は一気に8人に減ってしまい、3年目は4人になり、最終的には私ともう1人しか残りませんでした。その会社に限らず、均等法の直後、鳴り物入りで入ってきた女性たちはほぼ全滅。企業側もどう仕事を振ればいいかわからず、彼女たちもイヤになってやめてしまうんです。
私はその後、オファーを受けて外資系企業に行き、独立するのですが、もう1人の方は今でも会社に残っていると聞いています。遅めの結婚をされて、課長まで務めましたが、今はもう少し緩やかな働き方をされているようです」
Aさんが入社後に任されたのは、法人営業だ。女性の営業は、支店内で仕事をするしか選択肢がなかった時代から、いわゆる外回りにも出ていく過渡期だった。
「大変だったことはあまり覚えていないのですが、いま思えば、やはり一部の人たちから、パワハラ、モラハラ、セクハラをひととおり受けました。私のことを知らない人ほど、『女のくせに』なんて言ってくるんですよ」とAさんは明かす。
いまでこそ、セクハラ・パワハラを問題視する社会に変わりつつあるが、それは当然、過去に大小さまざまな被害があったからだ。
日本で初めてセクハラ被害による提訴がおこなわれたのは1989年のこと。原告女性が完全勝利した5年後の1997年、均等法が改正され、企業にセクハラ防止への配慮義務が定められた。2006年の改定で「措置義務」となり、必ず守らなければならないという、より強い規定に直されている。しかし、肝心のセクハラ行為自体を禁止する法律はなく、解決にはほど遠いのが現状だ。
「もちろん、みんながつらく当たってくるわけではなくて、基本的には人に恵まれた仕事人生でした。いまでも、当時の取引先の方で、ふっと私のことを思い出したかでご連絡をいただいて、お仕事につながることもあります。『苦労されたでしょう』と言われることが多いのですが、私としては、それなりにしなやかに生きてきたつもりです」
会社員、フリーランス、会社経営者とさまざまなポジションをへて、現在は再び会社員として働いているAさんだが、最近は「いつまで現役で働くか」について考えている。今年は均等法が施行されてから35年。当時から働き始めた女性たちは、定年を強く意識する時期だ。日本に、「女性の定年」についてのロールモデルは、極めて少ない。
「人生100年時代ですから、あまりリタイアというものは考えず、働けるだけ働いていくつもりです。おそらく60歳を過ぎてからは、いかに自分の経験や知識で、若い世代の活躍をサポートできるか、という話になってきます。若い世代に必要とされる働き方をしなければ、と思っています」