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東京港は1941年まで存在しなかった…開港が遅れに遅れた理由とは/5月20日の話
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2021.05.20 09:10 最終更新日:2021.05.20 09:20
1941年5月20日、東京港が国際貿易港として開港した。現在は、国土交通省が定める日本5大港の1つに数えられ、日本の海運を支える一大拠点となっている。
東京港の歴史は、古くは室町時代にまでさかのぼる。1457年、太田道灌が江戸城を築城するタイミングで、当時江戸湾の入り江だった日比谷周辺に、東京港の前身とされる江戸湊(みなと)が造られた。歴史学者の濱田浩一郎さんが、こう語る。
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「江戸幕府が開かれると、あらためて江戸湊全体が整備され、運河や(荷物の)揚げ場が多数設置されます。しかし、水深が浅く、大きな船舶が入れないという弱点もありました。そのため、開国後にまず国際貿易港として選ばれたのは、天然の環境が整っていた横浜港だったのです。
東京港を造る計画は1880年頃からあったのですが、当時はそもそも横浜港の築港コストについて、議論が進んでいる最中でした。
そのため政府内では『東京港か、横浜港か』といった問題に発展してしまったのですが、推進派だった東京府知事が急逝したことや、予算難から、東京港の話はいったん立ち消えとなるのです。
1899年に打ち出された計画案は帝国議会の可決も得たのですが、反対の声も多く、その矢先に熱心な築港推進派であった東京市議会議長の暗殺事件が起こってしまい、またも話はなくなりました」
とはいえ、東京市は完全にあきらめたわけではなかった。1906年には「隅田川口改良工事」と銘打ち、大量の土砂を取り除く浚渫(しゅんせつ)作業がおこなわれた。同時に、浚渫して出た土砂による芝浦の埋め立ても始まっている。
「状況が変わる大きなきっかけの一つが、1923年に発生した関東大震災です。被災により陸路が壊滅し、救援物資の輸送は海運を頼るしかなかったのですが、このとき東京港の脆弱さが取りざたされました。
こうして、港湾整備の機運が高まり、1930年、ついに東京港の修築事業が正式に可決され、一気に整備が進められたのです」
開港したのは1941年。初めて計画案が出た1880年から、実に60年以上もの歳月がかかったのだ。