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雲仙普賢岳の火砕流から30年…いまも続く溶岩ドームの監視活動/6月3日の話
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2021.06.03 10:20 最終更新日:2021.06.03 10:22
2021年2月、長らく火山灰に埋もれていた車が重機によって掘り起こされた。周辺からは、カメラのレンズや三脚の一部も発見された。車は毎日新聞の取材車両と、チャーターされた2台のタクシーだ。
1991年6月3日、長崎県にある雲仙普賢岳で大規模な火砕流が発生し、死者・行方不明者44人、建物被害2511棟と、きわめて甚大な被害が発生した。
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その後も活発な噴火活動は続き、1995年に活動停止するまで、繰り返し火砕流が流れ出すことになる。
犠牲者は、報道関係者やタクシー運転手、地元の消防団員らだ。取材陣は普賢岳を正面に見る定点スポットに詰め、専門家の警告を振り切って取材活動を続けた結果、地元の人々を巻き込む形となった。
30年ぶりに掘り出された車両は災害遺構として展示され、火砕流の恐ろしさを学ぶ防災学習の場として活用される。
現在、雲仙普賢岳はどのような状況になっているのか。普賢岳周辺に張りめぐらされた砂防堰堤の管理をおこなう、国土交通省雲仙砂防管理センターの担当者に話を聞いた。
「いまの普賢岳は、ひとまず落ち着いていると言っていい状況です。しかし、1991年の噴火で誕生した溶岩ドームは警戒する必要があります。
これは冷えて固まった溶岩の堆積物で、約1億立方メートル(東京ドーム約80杯分)もの大きさとなっています。
溶岩ドームは、重みにより1997年以降、1.38メートルも左へ移動したことがわかっています。この移動スピードが速まってくると、まずい状況になってきます。
そもそも山頂という不安定な場所にあるうえ、地震や豪雨によって土砂が流れ落ちる可能性もあるからです」
雲仙砂防管理センターでは、この溶岩ドームをさまざまな手法で監視しているという。
「たとえば、溶岩ドーム8カ所に取り付けた反射プリズムに、ふもとからレーザーを当てることで距離を測っています。これで、どれだけ動いたかがわかるのです。
気象レーダーのような、発射した電波が戻ってくる時間によって対象との距離を測るレーダーも併用しています。
溶岩ドームを監視する事業は、ほかに例がなく難しいのですが、今後もできる限りのことをしていきます」
写真・朝日新聞